誇るべき「鬼死骸村」の名前~奥州街道(4-199) [奥州街道日記]

TS393417.jpgTS393417左へ一関への旧街道
TS393420.jpgTS393420イチジクの実
TS393421.jpgTS393421一関平泉線(県道260号線)「一関市鬼死骸」

国道4号線から左へそれると、旧奥州街道である。
交通標識によれば、それは「一関平泉線(県道260号線)」であり、「一関市鬼死骸」「一関まで5km」と読める。

あと1時間少々で一関宿へ着けると思うと少しほっとする。
有壁の山中で散々迷ったあとなので、喜びも一塩である。

「鬼死骸村」というのは第二有壁を越したこの辺りをいうのであった。

ひどい名前だ。
しかし、地元の人は誇りを持っていい名前だ。

この国を2000年にわたって支配し続けている大和族が付けた名前だからだ。
もともとはアイヌ語のちゃんとした地名があったはずだ。

侵略して植民地化に成功したあとに、入植してきた大和族が新しく村の名前をつけたのである。

大和族から見て「鬼のように怖い」アイヌ族の酋長が住んでいた村なのである。

なかなか征服できずに、てこずったということが名前に現れている。

つまり、この地域の人々は、かつて大和族と対等に戦い、幾度か大和族を打ち負かしたこともある「勇気あるアイヌ族の末裔」なのである。

関東以西の倭人は、あっけなくおそらく朝鮮半島から移住してきた大和族にやすやすと征服されてしまった。

倭人というのはそういう民族だったのだ。
戦いを好まず話し合いで何事も解決する性格なのである。

この国の支配権が移動するに際して、出雲の神は話し合いによって「国譲り」を行った。
ただで国をアマテラスにあげたのである。
その代わりといっちゃあなんだが、年に一度だけ一ヶ月間八百万の神々を出雲へ里帰りさせて欲しいと願い出て認められた。

大和方から見れば全部の神々が出雲へ里帰りするから、その月は「神無月(かんなづき)」と呼ぶ。
一方の出雲方では、その月を「神在月(かみありづき)」と呼ぶ。

あと5kmで一関宿である。

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