熊よけ鈴の登場~奥州街道(4-186) [奥州街道日記]

TS393357.jpgTS393357あの先の暗がりへと入る
TS393358.jpgTS393358念のために熊よけの鈴を腰に付ける。
TS393360.jpgTS393360いよいよ山の中である

有壁宿を出ると砂利道の林道に入る。
この上の写真の立場の私の心理をおわかりだろうか。

周囲には誰もいない。
右下に有壁宿外れの農家らしい民家が二軒あるだけで、この先には人間は住んでいない。

木々に埋もれた森の中はやや暗い。
周りに人間はいない。

ここでおじけづいて逃げて帰ってもだれも文句は言わないのだ。
しかし、勇気というガソリンを注いで、私の足は砂利を蹴って前へ進む。

獣との遭遇、日が暮れて闇の中での野宿など、かつて体験したさまざまな怖い思い出が自然に私の脳裏を走馬灯のように走る。

脅すわけではないが、たった一人の旅である。
友が食われている間に逃げ出すチャンスさえない。
食われるのは私しかいないのだから。

最悪のケースをいつも想定しながら、準備を怠らないように注意することにしている。
臆病だといわれようが構わない。

リスクは他人が負うのではない。
私自身がリスクを評価し、それに怯えるのである。

怯える度合いに応じて対処の仕方を変える。


周囲が木々に囲まれて少し薄暗くなった。
もう習慣になっているが、念のために熊よけの鈴を腰に付ける。

「カランコロン」と「リンリンリン」の2種類の音が混じる。

大きい鈴と小さい鈴を両方引っ掛けてある。
小さい鈴の音は周波数が高い。

後方の遠くにある民家から犬が吼(ほ)え始めた。
私のどちらかの鈴の音が聞こえたのであろう。

人間には聞こえない鈴の音を獣は敏感に感じ取ることができる。

熊がそれを聞けば、私が気づくより遥かに先に彼らのほうから逃げ始めるはずだ。
だから人間が熊と鉢合わせする可能性を消してくれることになる。

1000円前後の鈴で命を守れるのである。
携帯ラジオのスピーカーから流れる音も熊は苦手なようである。
鈴が無い場合はラジオの音を流しながら歩くのもいい。

それに仲間がいる場合は話をしながら歩くといい。
声が遠くにいる熊には聞こえるから鈴と同じ警鐘の役目を果たす。

私のように一人で黙って歩いている人間は、鈴を持たねばまずい。

山菜取りの人がよく熊に襲われるのは、山菜取りに夢中になって音をさせないまま山中深くに入り込み熊とばったり遭遇するからだ。

パニックになってからでは熊も冷静に遠ざかることができない。
子熊でも傍にいれば、子を守ろうとして狂って襲ってくる可能性もある。


有壁から山中へ~奥州街道(4-185) [奥州街道日記]

TS393354.jpgTS393354有壁宿から山へ
TS393355.jpgTS393355さらに砂利道へ
TS393356.jpgTS393356「伊勢堂林道起点」の標識

有壁宿の町並みはすぐ消えて、眼前に山が迫ってくる。
これから山越えをせねばならないようだ。

これまでのいくつかの街道歩きで体験した山越えの艱難辛苦の思い出がよみがえり、心理的圧力を受けてしまう。
それでもここから引き返すわけにはいかない。

これは観光旅行の街道歩きではない。

山が迫ってきたら引き返して有壁駅から電車で次の宿場へ移動できたら、どれほど楽であろうか。

しかし、私の五街道踏破の計画は街道を「通し」で、つまり一気通貫であるくことに意義を置く。
誰がなんと言おうと、先にどんな苦労があろうと、前へ進むだけである。

そして、その企みは江戸時代なら普通に日本人たちがやっていたことである。

携帯電話も、コンビニも、電車も、バスも、そして靴すら持っていない先輩たちが女も子も通しで街道を歩いていた。

現代でこそ、大変な企みであるけれど、昔は日常茶飯事の旅行だった。
たいそうに考えるほうが本当はおかしい。

仏道修行者の苦行に比べれば優しいものである。

淡々と前に進むだけである。
とはいうものの、眼前に迫る深い山々の峰を見ると、やれやれと思わざるを得ない。

山中では、旧道が途中で消えている場所さえある。
幸いまだ昼すぎであるから、山の中は明るい。

これが午後3時ころの入山なら、別の意味の緊張感が走る。
そういう場合は下手をすると山中で野宿となり、いろいろな獣と同居する闇を迎えることになるからだ。

今日は明るいうちに山を抜けられそうだ。

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