神を祝う~長州(143) [萩の吉田松陰]

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SH3B0564周囲には根元から切られたシュロが数本
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SH3B0565更に坂の下にもう1本シュロの木が見える
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SH3B0566この急斜面を降りている

もともとは車で通った山道に、ツタや草に絡まった大きなシュロの木を見つけて停車した。
歩いてシュロに近づくと、「岩屋古墳」という案内が坂の下を指していた。
その急な坂道を下って少し平らになったところに、もう1本のシュロの木を見出した。
1本と思ったが、その周囲を見渡すとあちこちに根元から切断されたシュロの木の幹があり、切り株から逞しくも青々としたシュロの若葉が扇のような形で芽吹き始めている。

人間は何かの都合で植えて、そして何かの不都合でシュロを切った。
しかし、シュロの若芽は切り株からまた生えてくる。

切っても切っても、また生えてくるのだ。

最初に神を祝うためにモーセの教えに従い植えたシュロだった。
しかし、人々がシルクロードの旅の記憶さえ消し去ったあと、切られた。

しかし、現代において、また若芽は芽吹いてきたのである。

何のために若芽は天を突くかのように芽吹くのか?

それは神を祝うためである。

ここからはやや緩やかな傾斜になり、坂は森の中へと下っていく。
この坂の先の方、森に入ろうとするあたりに、もう1本別のシュロの木が見える

私を誘(いざな)うかのように、適度な感覚で坂道の先へ、先へとシュロの木が見出せた。

私は自然にシュロの木に誘われて、森の中へと坂を下っている。
まるで真夏の森の中を夢遊病者がさまようかのような気分である。

あたりに人影はまったく見えない。

だんだん森影によって辺りは暗くなってくる。

室積の岩屋古墳~長州(142) [萩の吉田松陰]

SH3B0561.jpgSH3B0561案内札が坂の上にある
SH3B0562.jpgSH3B0562岩屋古墳入口
SH3B0563.jpgSH3B0563坂を下りるとそこにもシュロの木

象鼻ヶ岬を通過して簡保の宿の坂をのぼり、そこを通り過ぎて山道へ入った。
ツタや草が絡まって一見シュロの木であるかどうかわからなくなっている太ったシュロを発見し、車を止めて近づいた。

昔は人々が住んでいた場所だろう。
シュロは道案内の役割をしている。

武蔵一ノ宮から中氷川神社、氷川女体神社の3社を参るときにも案内をしてくれた。また奥州街道沿いには宿場駅ごとに大きなシュロの木があった。

武蔵一ノ宮は確か紀元前473年創建の神社で関東に最初にできた神社という意味である。

創建当時に既にシュロがあった可能性がある。
そうであれば、それはイエス生誕前のことであるから、シュロの木はイエス復活を祝うのではなく、旧約聖書にいうところのモーセの教えに従うものであろう。

草に絡まれたシュロの木に近づくと、近くに木製の案内板が坂の上に立ててあった。

「岩屋(いわや)古墳入口」と書いてある。

旧約聖書を信奉した祖先たちが住んでいたのであろうか。

坂を下って古墳のほうへと歩いていく。

坂がいったん平たくなって再び下がっていくように道は続いているが、平たくなったとこにもシュロの木があった。


やはり人間をあるところへ導く役割をシュロがしているようだ。

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