室積の岩屋古墳~長州(142) [萩の吉田松陰]

SH3B0561.jpgSH3B0561案内札が坂の上にある
SH3B0562.jpgSH3B0562岩屋古墳入口
SH3B0563.jpgSH3B0563坂を下りるとそこにもシュロの木

象鼻ヶ岬を通過して簡保の宿の坂をのぼり、そこを通り過ぎて山道へ入った。
ツタや草が絡まって一見シュロの木であるかどうかわからなくなっている太ったシュロを発見し、車を止めて近づいた。

昔は人々が住んでいた場所だろう。
シュロは道案内の役割をしている。

武蔵一ノ宮から中氷川神社、氷川女体神社の3社を参るときにも案内をしてくれた。また奥州街道沿いには宿場駅ごとに大きなシュロの木があった。

武蔵一ノ宮は確か紀元前473年創建の神社で関東に最初にできた神社という意味である。

創建当時に既にシュロがあった可能性がある。
そうであれば、それはイエス生誕前のことであるから、シュロの木はイエス復活を祝うのではなく、旧約聖書にいうところのモーセの教えに従うものであろう。

草に絡まれたシュロの木に近づくと、近くに木製の案内板が坂の上に立ててあった。

「岩屋(いわや)古墳入口」と書いてある。

旧約聖書を信奉した祖先たちが住んでいたのであろうか。

坂を下って古墳のほうへと歩いていく。

坂がいったん平たくなって再び下がっていくように道は続いているが、平たくなったとこにもシュロの木があった。


やはり人間をあるところへ導く役割をシュロがしているようだ。

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