近親者への講義~長州(114) [萩の吉田松陰]

SH3B0459.jpgSH3B0459吉田松陰幽囚旧宅の説明板
SH3B0461.jpgSH3B0461幽囚室

旧宅の前に板に墨書した案内板があり、それを抜粋している途中で「萩市大字椿東」のところから横道へそれた。
横道といえば確かにそうだが、萩訪問の目的を達成するほどの重要な示唆を得られた。

引き続き説明文を抜粋しよう。

『国指定史跡
吉田松陰幽囚の旧宅
所在地 萩市大字椿東字新道
指定年月日 大正11年10月12日

説明
この建物は、吉田松陰の父杉百合之助の旧宅であるが、はじめ家禄49石余の親族瀬能家から借りたものでかなり広い。

松陰は伊豆下田港で海外渡航に失敗して江戸の獄につながれ、ついで萩の野山獄に移されたが、安政二年(1855)許されて実家へお預けとなり三畳半一室に幽囚されることになった。

ここで父兄や近親が松陰の講義を聞き、やがて入門者が増えて私塾の形態ができるようになった。

この講義は安政4年松下村塾に至るまで1年半ばかり続けられた。

松陰は安政5年老中間部詮勝の要撃を企てたために、野山獄に再入獄前の約1月間再びここに幽囚される身となった。 萩市教育委員会』(抜粋終わり)
安政元年 下田密航失敗、野山獄へ
安政2年 実家預かり、父兄や近親に講義
安政4年 第2期松下村塾開講

1年半もの間、この三畳半一間の幽囚室で家族と親族を相手に講義をしていたのだった。
その間、おそらく百合之助もお瀧も、松陰が目指す国家像を把握できていたのではないかと思われる。

それは後の松下村塾開講前の準備運動にも見える実家の幽囚室での講義だった。
その実家は先に述べた萩の北東郊外にある椿東地区にあったのである。

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Kelterb

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by Kelterb (2020-01-16 06:42) 

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