ハングル文字と酒造業~長州(87) [萩の吉田松陰]

SH3B0351.jpgSH3B0351再び晋作の家のある城下町へ
SH3B0352.jpgSH3B0352旧久保田住宅
SH3B0354.jpgSH3B0354旧久保田住宅の門
SH3B0355.jpgSH3B0355向かいの菊屋家住宅
SH3B0356.jpgSH3B0356同上

再び城下町に入った。

食堂で昼飯にうに丼を食べたが、おいしいのはわかったが昼に3000円は高い。

写真の立派な邸宅は商人の屋敷で、旧久保田住宅という。
その門の内側を眺めていると、着物を着飾ったご婦人が数名出てきた。
何か屋敷の中で催しかレッスンなどがあったのであろう。

流木アート、創房いちのせ、元萩窯などの表示が門の脇にかけられている。

『旧久保田住宅

呉服商・酒造業を営んでいた旧久保田住宅は、主屋、門、離れが旧御成道に面し、菊屋家住宅と対峙するかのように立ち並んでいる。

両家の主屋同士が向かい合い、立ちの低い菊屋家の主屋に対し、旧久保田家の主屋は、屋根裏に物置や使用人の寝間を設けた「つし二階」を持ち、立ちが高く、両者の対比は、それぞれの建物が建てられた時代的特色をよくあらわしている。

幕末から明治前期にかけての建物として、意匠・構造・技術に優れ、酒造業で繁栄した往時の状況も良く伝えており、史跡萩城城下町を構成するきわめて重要な建物である。萩市』

今まで萩市の史跡説明板を何枚も見てきた。
それは日本語で解説して、その下に英訳文を載せている形式だった。

しかし、旧久保田住宅のこの案内板だけは、日本語7行、英語3行の下にハングル文字が2行だけ書かれている。

ここは朝鮮半島との因縁も浅からぬ貿易商だったのだろうか。

福岡市などでは日本語、英語、中国語、ハングル文字で観光案内を表示しているが、ここ萩ではあまりハングル文字をみかけなかった。

だからここでおやっと思ったのである。

中国語はなぜ書かないのだろうか。
いまや中国人観光客の方が圧倒的多数であるし、消費意欲も旺盛である。

この解説によれば、官軍として勝ったあとの明治の時代に、酒造などで繁栄した久保田家だから、新しい建築技術で菊屋家とはかなり違う堂々たる様式になっていると読める。

官軍側で儲けた商人であろうか、ともかくハングル文字がとても印象に残った。

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