17世紀の菊屋家住宅~長州(88) [萩の吉田松陰]
SH3B0356菊屋家住宅(再掲)
久保住宅は背が高いが、菊屋家住宅は低いという萩市の説明の影響を受けて、後者はさらりと掲載したが、近づいて説明板を読むと、こっちの方が遥かに文化財的価値が高い。
改めて再掲する。
『国指定重要文化財
菊屋家住宅 主屋・本蔵・金蔵
米蔵・釜場 五棟
萩藩の御用も勤めた豪商の家。
主屋は切妻造り、桟瓦葺きで北面し、西側に通り土間があり、床上部は前寄り一間半を店とし、その奥は横に二または三室が三列に配されていた。
全国でも最古に属する大型の町家として極めて貴重。
主屋と数棟の蔵が建ち並ぶ西側の景観は見ごたえがあり、国指定史跡萩城下町の地域内にあってその重要な構成要素の一をなしている。(主屋十七世紀前半、他十八~十九世紀)』
1551年の大寧寺の変で第16代当主の大内義隆が倒れるまでは山口市が西の京都だった。
関が原の合戦の後、毛利氏が萩へ移り住んできた。
それが17世紀初めである。
毛利の家臣団は、萩城下町の街づくりに精を出したはずだ。
その17世紀前半に、この菊屋家住宅の主屋が建築されている。
まだ江戸城に徳川家康が住んでいた時代のことである。
そう考えると、日本の木造建築は実にすごい技術の集積であることが分かる。
久保住宅は背が高いが、菊屋家住宅は低いという萩市の説明の影響を受けて、後者はさらりと掲載したが、近づいて説明板を読むと、こっちの方が遥かに文化財的価値が高い。
改めて再掲する。
『国指定重要文化財
菊屋家住宅 主屋・本蔵・金蔵
米蔵・釜場 五棟
萩藩の御用も勤めた豪商の家。
主屋は切妻造り、桟瓦葺きで北面し、西側に通り土間があり、床上部は前寄り一間半を店とし、その奥は横に二または三室が三列に配されていた。
全国でも最古に属する大型の町家として極めて貴重。
主屋と数棟の蔵が建ち並ぶ西側の景観は見ごたえがあり、国指定史跡萩城下町の地域内にあってその重要な構成要素の一をなしている。(主屋十七世紀前半、他十八~十九世紀)』
1551年の大寧寺の変で第16代当主の大内義隆が倒れるまでは山口市が西の京都だった。
関が原の合戦の後、毛利氏が萩へ移り住んできた。
それが17世紀初めである。
毛利の家臣団は、萩城下町の街づくりに精を出したはずだ。
その17世紀前半に、この菊屋家住宅の主屋が建築されている。
まだ江戸城に徳川家康が住んでいた時代のことである。
そう考えると、日本の木造建築は実にすごい技術の集積であることが分かる。
2011-02-05 12:59
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by StevJasy (2020-02-06 11:33)