奈古(なご)の日帰り温泉~長州(51) [萩の吉田松陰]

SH3B0188.jpgSH3B0188遠くから見えるシュロ3本
SH3B0187.jpgSH3B0187阿武町近くのシュロの並木だった
SH3B0189.jpgSH3B0189日帰り温泉到着
キリシタン墓標他地図.jpgキリシタン遺跡案内図(「ぶらり萩あるき(萩市観光協会公式サイト)」より部分抜粋)
http://www.hagishi.com/mapl/

萩駅で入手した萩観光案内図だけが頼りだから、道路情報としての精度は低い。
迷い道に入ったらなかなか修正はできない。

住所や電話番号がわかれば私の車の低脳カーナビでも何とかたどり着けるのだが、パンフレットにはあいにくかかれていなかった。

萩駅で入手したのと同じものがサイトで見つかったので、上に抜粋した。
キリシタン墓標のある紫福地区は、萩市の東北東に位置する。
昔風に言えば萩城の鬼門の方角となる。

萩を出て逃避行したとすれば、歩きで約1日の旅程である。
フルマラソンくらいの距離だろう。

東萩駅の東方にある松陰神社から、上の地図で県道11号線を北上する山行きのコースとなる。

私の車は、と言えば、隠れキリシタン墓標(三位一体像)、マリア観音を見て、すぐ近くのキリシタン祈念地を探したが道に迷う。
仕方なく、案内地図を適当に眺めて目についた大板山たたら製鉄遺跡のほうへと自然に向かった。

なぜならば、大内義隆の遺児たちは多々良(たたら)氏の末裔だからである。

しかしまた道に迷い、その「たたら製鉄遺跡」にもたどり着けず、結局はJR奈古(なご)駅前を通って阿武町役場前に降りた。

北海道をドライブしたときに、深い山の中の金鉱山に青森から逃げてきた隠れキリシタンの集団が金の精錬作業に従事していることを観光案内で見たことがある。

禁教令によって生活の場を追われたキリシタンたちは、深山にこもって刀や鍬、鎌の原材料を生産していたのであろう。

沢に沿って山道を降りてくる途中、車両通行止めの道に突き当たったが、標識を無視して突き進んだときに、川の向こう側にシュロの並ぶ光景を発見した。

川沿いの道は雨で土砂が崩れており、確かに軽自動車1台しか通行できないほど狭い場所があった。

私は後戻りしたくない思いから、一か八かゆっくりと土砂崩れ現場を徐行した。
……。

何とか危機を脱出できた。
その川の向こう側にシュロが林立する畑を見つけたのである。

紫福地区のキリシタン墓標のある集落から、一山ふた山を越えて日本海へと下ってくる途中であった。

萩から紫福地区を抜けて日本海へと向かうキリシタンたちも、昔はこの細い沢沿いの道を歩いたことだろう。

やがて海沿いの国道に突き当たる。
阿武町役場の傍を通り、国道を萩方面へと戻る。

その途中、道の駅に併設してある日帰り温泉の看板が見えた。

夕暮れ前である。
車中泊する前にさっぱりして行こう。

道の駅の駐車場に車を止める。
歩いてすぐ傍に温泉はある。

紺色の大きな暖簾をくぐり受付に向かう。

「いらっしゃいませー。どちらかですか?」
番台のおばさんに聞かれた。

街道歩きの格好をしているので、土地の人間ではないことがわかったのだろう。

「東京を昨夜発って、今朝萩に着きました。」

「えー、東京から。お一人で?」
「ええ、出張仕事の合間の休日観光です。」
「ゆっくりしていってくださいーい。」

シャンプーも洗剤もついていて、入浴料300円は安い。

夕焼けが消えかかっている日本海を眺めながら、ゆっくりと湯船に体を沈めた。
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