見失った至福の里~長州(50) [萩の吉田松陰]

SH3B0183.jpgSH3B0183あれが至福の里か?
SH3B0184.jpgSH3B0184車1台がやっと通る小道
SH3B0186.jpgSH3B0186電信柱とシュロの木

キリシタン祈念地(至福の里)を目指して車を移動させた。
川を渡る石橋のたもとには、確かにその案内看板が置かれていたし、その矢印に沿って私は進んだ。
しかし、途中で車1台がやっと通れるほどの小道に差し掛かった。
信仰を秘匿するために昔の牛車や馬車でも難儀するようながけ沿いの小道を使っていたのだろうか。

案内板も消えてしまい道に迷ったと思った。
その頃に道の傍に電信柱ほどの高いシュロの木がぬっと姿を現してきた。

「ぎょっ!」としたが、すぐにこれは約束地への信者へ向けた道案内のサインであろうと自分自身を安心させた。

しかし、とうとう道を間違えたらしい。
行けども行けども何も現れてこなかった。

結局、キリシタン祈念地(至福の里)を見ることなく、私はそのまま山中を北へ突破して日本海側へ降りることに決めざるを得なかった。
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道を間違って紫福村に迷い込んだある牧師

キリシタン祈念地(至福の里)を目指して車を移動させた・・・しかし、とうとう道を間違えたらしい。行けども行けども何も現れてこなかった。結局、キリシタン祈念地(至福の里)を見ることなく、私はそのまま山中を北へ突破して日本海側へ降りることに決めざるを得なかった。

同じことを経験するひとが、筆者以外にもおられるのですね。筆者と妻も、2度目に紫福村をたずねたとき、<キリシタン祈念地>にたどりつこうとしてたどりつくことができませんでした。なにか、きつねにだまされたような気になったものですが、<キリシタン祈念地>とは、なにか具体的な場所・遺跡をさしていることばではなく、あなたがこのブログで文字と映像で報告されているすべてのもの、総体をさして<キリシタン祈念地>と命名されているようです。

つまり、あなたは、<キリシタン祈念地>をたずねてみたいと思い、実際にその<キリシタン祈念地>をたずねたにもかかわらず、<キリシタン祈念地>にたどりついた・・・、という意識・自覚を持つことができなかった・・・、ということです。

紫福村の不思議なところは、水平方向ではなく、垂直方向に視線をむけなければ<キリシタン祈念地>にたたずみ祈りをささげることができないという、きわめて謎めいた不思議なところ・・・。<聖地>というのは、本来そういうところかもしれません。 

by 道を間違って紫福村に迷い込んだある牧師 (2011-03-02 11:05) 

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