一関宿~奥州街道(4-203) [奥州街道日記]

TS393440.jpgTS393440 八幡宮の鳥居
TS393442.jpgTS393442 一関駅前
TS393443.jpgTS393443 一関駅

八幡宮の鳥居が左手に見える。
一関八幡神社であろう。

「一関駅前」の標識が見えてきた。
右手を見ると、遠くの駅舎が見える。

さきほど京都妙心寺のことを考えていたから、その流れでこの大きな宿場にもカトリック教会があるのではないかと思った。
調べると一関から約500北を左に曲がったところに教会があることがわかった。

明治時代になっても、切支丹へのさまざまな抑圧は続いていたはずであるが、ここは明治35年の設立だから、意外と早い。
江戸時代からカクレキリシタンたちが住んでいた可能性があるだろう。

NHK大河ドラマの龍馬伝に出てくる長崎丸山芸者お元さんのような日本女性が宿場の旅籠で働いていたのかもしれない。

『一関教会は1902年(明治35年)にパリ外国宣教会の司祭により小教区が設立された。

1948年(昭和23年)進駐軍より譲り受けたカマボコ型兵舎を改造して聖堂とした。
1949年(昭和24年)12月ドミニコ会からスイス・ベトレヘム外国宣教会の司牧へ変わり、1952年(昭和27年)、新しい聖堂が完成し現在も大切に使用されている。

1975年(昭和50年)ベトレヘム外国宣
教会から、教区邦人司祭に移行し現在に至っている。

現在の主任司祭は佐藤守也師。聖堂内にはスイス・ルツェルン市アンセルモ・ローネル氏より寄贈のあった美しいマリア像が設置されている。
また教会の窓にはカルペンティール神父(ドミニコ会)制作の十字架の道行きのステンドグラスが設置されている。』
(「カトリック一関教会 聖寵の聖母」より)
http://www.sendai.catholic.jp/c%20ichinoseki.htm

パリ外国宣教会とは、戦国時代に設立されたイエズス会のことではないだろうか。
カトリック教会の元になる活動が江戸時代に一関であったとすれば、ペドロ岐部も一関を訪れているはずだ。

日が暮れなずむ一関市街を通過し、今夜の寝床を探さなければならない。
だから一関教会へも寄れないが、夕方に見学する仕組みもないだろう。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。