トマスと呼ばれたかった安重根~奥州街道(4-163) [奥州街道日記]

TS393275.jpgTS393275源氏蛍煎餅前で休息(再掲)
TS393275a.jpgTS393275a同上拡大(赤い花の先に記念碑の看板)
安重根(Wikipedia)..jpg写真下 安重根(安重根(Wikipedia)より)「断指同盟」の誓いの際に左手薬指を切断している。

沢辺市役所の前の道路向いの縁石に腰掛けて涼んでいる。
ズボンの裾を捲(まく)し上げて涼を取った。

街道歩き3日目の痺(しび)れた足首に、街道を渡る風が涼しさを届けてくれた。

左手を見ると、「源氏蛍煎餅」の看板が見える。

「源氏蛍煎餅」の文字の右下には真っ赤な花が咲いている。
その花の先に「○○記念碑」と矢印に距離を表示した白い標識板が見える。

そこは、沢辺郵便局の前だった。

足の疲労を考えるとその記念碑のところまで歩いて行くつもりはないのだが、誰の記念碑かと気にかかり立ち上がって近づいてみた。

「安重根記念碑」と書いてある。

「安重根記念碑(大林寺)2.8km」と書いて、その下にハングル文字が並べてある。

はて、誰だったか?
ちょっと寄り道できるような距離ではないので、そこへ行って確かめる訳にもいかない。

『伊藤博文暗殺(未遂?)犯人ではなかったか?
携帯では調べる気にならない。

東北の在日朝鮮人か韓国人であろう。
帰宅して調べよう。
この近くに車で来るときは是非安重根記念碑を訪ねたい。

16時50分、沢辺市役所発』

携帯投稿したときのリアルタイム記事に私はそう書いていた。

ネットで調べてみた。

「安重根(Wikipedia)」の記事の中に、『宮城県栗原市(旧若柳町)の大林寺に安重根の顕彰碑が建立されている。』と書いてあった。

遺体を埋めた墓があるということではなさそうだ。
顕彰するほどの偉大な活躍があったのである。

活躍の事跡とそれに対する各国の微妙な反応の違いをWikipedia記事より抜粋する。

『黄海道の道都・海州の両班の家に生まれる。

東学党に反対していた安は追われてカトリック教会のパリ外国宣教会のジョゼフ・ウィレム(Nicolas Joseph Marie Wilhelm, 빌렘, 韓国名: 洪錫九)[4]司祭に匿われ、洗礼を受け[5]キリスト教に改宗した(洗礼名は「トマス」)[6]。

教育関係の仕事を経た後、1907年の高宗の強制退位と軍隊解散、それに伴う義兵闘争の高まりのなかで危機感を募らせウラジオストクへ亡命、そこで「大韓義軍」を組織し、抗日闘争活動に身を投じる。

彼は死ぬまでカトリック信仰を持ち続け、妻への最後の手紙では、自分の息子が聖職者になるように尋ねたりもしている[7]。

伊藤博文暗殺 [編集]
1909年10月26日、伊藤博文(暗殺当時枢密院議長)は満州・朝鮮問題に関してロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフと会談するためハルビン(哈爾浜)に赴いた。
午前9時、哈爾浜駅に到着し、車内でココツェフの挨拶を受けた後、駅ホームでロシア兵の閲兵を受けていた伊藤に、群衆を装って近づいた安重根の放った銃弾3発が命中、伊藤は約30分後に死亡した。

安重根はその場でロシア官憲に逮捕され、2日間拘留された後、日本の司法当局に引き渡された。

留置中に伊藤の死亡を知った際、安は暗殺成功を神に感謝して十字を切り「私は敢えて重大な犯罪を犯すことにしました。
私は自分の人生を我が祖国に捧げました。
これは気高き愛国者としての行動です」と述べたという[7]。

大韓帝国のカトリック教会の司教からは大罪を犯した安重根にサクラメントを施してはならないという命令が出されたにもかかわらず、懇意であった洪司祭は彼のもとを訪れ支えとなった。

彼も収監中は官吏に対し自分を洗礼名で呼ぶよう主張したといわれる。 

抗日闘争に際しての彼の決意の堅さを表すエピソードとして、同志とともに薬指を切り、その血で国旗に大韓独立の文字を書き染めた「断指同盟」の逸話も伝わる(cf.写真の左薬指)。

最期 [編集]

"一日不讀書口中生荊棘" 安重根が獄中で書いた遺墨の一つ。

1910年2月14日、安重根は旅順の関東都督府地方院で死刑判決を受けた[8]が、彼は判決そのものが不当であると憤慨した[7]。

裁判を統轄した判事は、死刑執行までに少なくとも判決後2、3か月の猶予が与えられるとしていたが、日本政府中央は事件の重大性から死刑の速やかな執行を命じた。

安は上訴を行い、担当検察官であった溝渕孝雄へ自らの随筆「東洋平和論」を書き終えるために必要な時間の猶予と、死刑の時に身に纏う白い絹の衣装を一組与えてくれるよう願い出た。

彼の所業を義挙として共感を示していた溝渕も二つ目の望みを叶えはしたが、その処刑の後、しばらくして自ら検察官の職を辞することとなった。

安はまた自分が軍人扱いの「捕虜」として銃殺刑に処せられることを望んだが、犯罪者として絞首刑に処せられることとなった。

死刑執行の当日、安重根は世話になった日本人看守の千葉十七に、「先日あなたから頼まれた一筆を書きましょう」と告げ、「為国献身軍人本分」と書いて、署名し薬指を切断した左手の墨形を刻印した。

そして彼は、「東洋に平和が訪れ、韓日の友好がよみがえったとき、生まれ変わってまたお会いしたいものです」と語ったという。

1910年3月26日、安は旅順刑務所内にて処刑された。
伊藤が絶命してからちょうど5か月後であった。

安重根の死から更に5か月後の1910年8月22日、日韓併合により大韓帝国は滅亡した。

後世の評価
安重根への評価は、日本の朝鮮支配に対する立場などを反映し、各国によって大きく異なっている。

韓国
大韓民国において安重根は、抗日闘争の英雄と評価され、「義士」と称される。
ソウル特別市には安の偉業を伝える「安重根義士記念館」が1970年に建設されている[9]。

彼の功績を称えて、韓国海軍では、2008年に完成した孫元一級潜水艦3番艦の艦名に「安重根」を用いている[10]。

また伊藤博文暗殺から100年にあたる2009年10月26日にはハルビンで記念式典が開催された[11]。
また、伊藤の暗殺という事実だけでなく、彼の唱えた「東洋平和論」や教育啓蒙活動など彼の思想を照明する動きも活発になっている。

北朝鮮
朝鮮民主主義人民共和国においては、安重根の救国の意志は認めるものの、その手段としての「暗殺」は評価しない。

「併合に対して消極的であった伊藤博文を暗殺の対象に選んだ」ため[要出典]である。
教科書では金日成の反面教師のように扱われる。

参考:映画『安重根 伊藤博文を撃つ』1979年 北朝鮮
北朝鮮がこのようなスタンスを取っているのは、安重根が両班という、すなわち社会主義における階級闘争よって糾弾されるべき立場の人間(ブルジョワジー)であるためとされる。

2009年10月24日付けの週刊誌『統一新報』では「歳月が流れても祖国と民族のために捧げた愛国者の人生は、民族の記憶の中に永遠に残ることになる」としながら「卓越した指導者にめぐり会えず個人テロに頼らざるを得ず、ついには命を投げ打っても独立の念願を果たせなかった民族の風雲児」であるとした[12]。

日本
安重根は日本の「維新の元勲」を殺害した暗殺者であるが、その暗殺に意味を付加しうるかどうかは様々な評価が存在する。

テロリスト説
韓国の日本の保護国としての現状維持を志向し、日韓併合に慎重な立場であった伊藤博文の死は、逆にそれを加速させた[7]として、安重根を「先の見えないテロリストである」と評する説[13]。
ただし同説には、伊藤が日韓併合に反対していたのか、伊藤の死と日本による大韓帝国の併合がどのような関係があるのかなど不明瞭なところも多い。

義士説
韓国支配の象徴的存在であった伊藤の暗殺は、民族の独立を願う志士の純粋な行動として、幕末の勤皇志士につながるところがあり、安重根の裁判を担当した日本の検事から「韓国のため実に忠君愛国の士」と感嘆の声があがるほどであった。
これは、立場が違っても、相手を忠義の志と見れば、一定の敬意を払う考えによるものである。

人身御供説
伊藤博文の随行員として事件現場にいた外交官出身の貴族院議員である室田義文が、伊藤に命中した弾丸はカービン銃のものと証言しているのに、安重根が所持していたのは拳銃である。
弾丸は伊藤の右上方から左下方へ向けて当たったと証言していることなどから、伊藤に命中した弾丸は安重根の拳銃から発射されたものではない、という説がある。

この説においては安重根は事件の真相を闇に葬るための人身御供とされる。

中華人民共和国 [編集]
伊藤博文暗殺の現場となったハルビン市のある中華人民共和国には少数民族として朝鮮族が居住しているほか、韓国人も外国人として在留している[14]。

中国では安重根は「日本の首相経験者を暗殺した人物」として高い知名度を持っている[14]。

しかし中国政府は、安重根の評価は反日勢力を刺激し、国内の社会不安を増大させるとして、積極的な評価は行っていない[14]。

2006年には、韓国人によってハルビン市に4.5mの安重根の銅像が建設されたが、「外国人の銅像建設は許可しない」として当局により撤去させられている。

伊藤暗殺から100年にあたる2009年10月26日には同市で記念式典が開かれることになったが、ハルビン駅近くの中央大街公園広場での開催は許可せず、朝鮮民族民芸博物館での開催となった。

また旅順市の戦争陳列博物館で安重根の特別展が開かれたが、「国際抗日烈士展示館」と安重根の名前は出さない曖昧なものにさせ、慰霊や記念式典は認めなかった。』

(安重根(Wikipedia)より)

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