瑠璃殿~奥州街道(4-133) [奥州街道日記]

TS393138.jpgTS393138変わった灯篭のマーク
TS393141.jpgTS393141釘を使わず楔(くさび)で締める構造
TS393142.jpgTS393142土と石の基礎

灯篭には三つ葉マークのような切り欠きがある。
珍しい切り欠きマークである。

釘を一切使っていないお堂だと知ってから、別種の尊敬の念をこめてもう一度瑠璃堂を見回した。

屋根裏の木組み構造も「楔によって締める」という固定方法の表れなのだろう。

足もとの基礎を見ると、普通の丸い石の上に木柱をただ乗せているだけである。

地震のときは柱が石から落ちるであろう。

梃子(てこ)の原理によってお堂を持ち上げておいて、再び石を木柱の下へと置くのであろう。

つまり、地震に強いリサイクル利用できるお堂と言えるだろう。

境内に「御縁起」の説明板が立っている。


『御縁起

当杉薬師霊場は、天平宝字四年(奈良時代西暦760年)に第四十六代孝謙天皇が開創された勅願霊場であります。

その由来は孝謙天皇が御病気になられ、時の医薬祈祷も効なく、なかなか治りませんでした。

そこでその頃の易学博士に占ってもらったところ、奥州の野に高さ数十丈の大木がありその精が紫宸殿を侵しているため御平癒なさらないのでその大木を伐るようにとのことでした。

さっそく大納言明公に命じて奥州の野に尋ねて参りました。

当地にさしかかると昼でも夜のごとく、あたり一面に黒い影をおとす杉の大木が空高くそびえているのを発見することが出来ました。

占いの通り勅使が大木を伐らせましたところ不思議なことに天皇の御病気は、たちまちにして治られました。

天皇はその杉の木の霊異に感じ入られ、当地に仏堂を建立させ、天皇家の安泰、天下泰平、万民豊福の勅願霊場とされました。

その後、嵯峨天皇は伝教大師最澄に薬師瑠璃光如来像を刻ませ御本尊として安置なさいました。

この時より天台宗比叡山延暦寺の末寺医導山興福寺と号し、四十八坊からなる大寺院となりました。

ところが度重なる兵火や災害により荒廃の一途をたどり、天正十九年(1591年)伊達公の命により再興され、曹洞宗に改修、医王山双林寺と号し現在に至るのであります。以下略。』(境内の説明版より抜粋)
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