厚狭毛利家~長州(92) [萩の吉田松陰]

SH3B0368.jpgSH3B0368この先にさっき渡った平安橋がある
SH3B0369.jpgSH3B0369「重要文化財 旧厚狭毛利家萩屋敷長屋」
SH3B0370.jpgSH3B0370同上裏塀(土と瓦の積層)

堀内にある武家屋敷とは大名の親戚筋のものである。
とても大きく立派である。

門柱に「重要文化財 旧厚狭毛利家萩屋敷長屋」と墨書されている。
10,500石の大名である。

『厚狭毛利家(あさもうりけ)は、江戸時代の毛利氏の一門家老のひとつ。
毛利元就の五男・毛利元秋を祖とし、のち元就の八男・元康が跡を継ぎ、関ヶ原の戦いの後長門厚狭(現在の山口県山陽小野田市)に10,500石を与えられたのが始まりである。

元康の跡を子・元宣が継ぎ、厚狭郡末益村(現・山陽小野田市)・厚東郡船木村(現・宇部市)を与えられ、末益村の郡(こうり)に居館を構えたことにより厚狭毛利氏というようになった。

居館は厚狭毛利氏館または厚狭毛利氏館とも呼ばれた。』(厚狭毛利家(Wikipedia)より)

萩市観光ポータルサイトの解説を見てみよう。

『旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
掲載日: 2010年11月10日 / 担当: 観光課

厚狭毛利家は毛利元就の5男元秋を始祖とする毛利氏一門で、萩屋敷は約15500㎡の広大な敷地を誇っていましたが、主屋などは明治維新後に解体され、安政3年(1856)に建てられたこの長屋のみが残っています。

本瓦葺き入母屋造りで、現存する萩の武家屋敷の中では最も大きく、国の重要文化財に指定されています。
昭和43年(1968)に解体修理が完成し、内部に当時の調度品などを展示しています。』
({旧厚狭毛利家萩屋敷長屋」より)
http://www.city.hagi.lg.jp/portal/bunrui/detail.html?lif_id=10289

この立派な屋敷が、実は長屋だけであるという。

萩の武家屋敷で最大規模だった主屋は、解体されて残っていないという。
一体主屋はどれほどまでに大きかったのであろうか。

ひょっとすると、主屋解体前の敷地の中にキリシタン殉教地があったのではないだろうか。

毛利氏の家系の中にも当然ザビエルは種をまいているはずだからだ。

土と瓦を交互に重ねた裏塀の特徴ある光景を見ながら、路地を左折すると、分岐に「キリシタン殉教者記念公園」と書いた看板が見えた。
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