「つくも」の秘密~奥州街道(4-165) [奥州街道日記]

TS393283.jpgTS393283金成奉公田(かんなりほこだ)
TS393284.jpgTS393284「金成教会、有壁宿本陣、大久保窯」の看板
kabara.jpgTree of Life(カバラ(Wikipedia)より)

旧道へ入っていく。
金成奉公田(かんなりほこだ)地区を歩いている。

「金成教会、有壁宿本陣、大久保窯」の看板が見える。

金成教会は有壁宿近くにあったのだ。

先ほどの沢辺市役所前の「安重根記念碑」の看板では手間取った。
調べれば調べるほどなぞが深まってきた。

ポイントは安がキリスト教徒で、丁寧に帰国後に記念碑を立てた旅順監獄の看守千葉十七の育った金成はロシア正教教会の初期の成立を見た地区だったということだ。

しかも金成教会を建立した酒井篤礼は金成生まれの医師であった。
安重根が敬虔なカトリック信者であったことは確実な事実である。
千葉十七がロシア正教教会がある地区で育ったことは確かであるが、彼がキリシタンだったという証拠はまだ見出していない。
わからない。

安重根が死を迎える前の最後の遺墨として千葉十七に渡した書はこういうものだった。

「為国献身軍人本分」

「国のために身を捧げるのは軍人としての本分(本来の勤め)である。」という意味である。

千葉十七が共感した「国」とはどの国だろうか。
狭い意味では日本国であろう。
広げて見れば日韓両国でもあろう。

さらに広げれば、欧米列強に対してアジア独立国という「国」もあるだろう。

両者が共感した「国」が何なのかによって、二人の関係は変わってくる。

キリストの望む「国」であるとすれば、カトリックの本山、ローマ法王が望むアジアの植民地のあり方ともなる。
千葉十七がカトリック信者であるかどうか不明なので、その線での共感があったとは今のところ考えにくい。

少なくとも安の遺墨にある「国」が「韓国」もしくは「朝鮮王国」ではないことは確かである。

日本人の千葉十七が、「韓国」もしくは「朝鮮王国」に身をささげるという安に共感する可能性は低いだろう。
安によって、千葉の出身国の総理大臣が射殺されたのである。

一番意外な視点は、安も千葉も「日本帝国」を「国」と意識していた場合だろうが、その可能性は大いに残っていると私は思っている。

つまり、貴族社会、両班で豊かに育った安は、崩壊しつつある朝鮮王国の中で没落貴族の悲哀を感じていただろう。
だからこそ義軍に身を投じて抗日運動に参加したのである。

しかし貴族ゆえにかつての栄光を手にすることができるならば何でもやるという心境でもあったのではないか。

敵の敵は味方という考え方もある。

韓国内での闘争に敗れ。敵の敵である日本帝国のスパイとなる道を選んだ可能性もあるだろう。
その場合は千葉も安も「国」が意図するのは「日本帝国」ということになる。

千葉は安の遺墨に共感を得るはずだ。

これ以上考えるのはよそう。
あまりにもなぞが深い問題であった。

さっき、金成津久毛(かねなりつくも)を通過したところだ。

同じ音を持つ「九十九(つくも)王子」の話があったので抜粋する。
熊野の地元の人のブログのようだ。

『さて、熊野への道、熊野古道(特に紀伊路、中辺路)には九十九(つくも)王子があった。

「王子」とは和歌山県の熊野大社の末社という意味で、京都から摂津、和泉を経て熊野に至る街道の途中に、休憩と遥拝のために設けられたお宮だ。

わが家の近くに、阿倍王子神社がある。

由来を見ると、当社は仁徳天皇によって創建され、平安時代の初期、天長3年(826)弘法大師空海が、淳和天皇の勅命で当社に参り、疫難退散の祈祷を修して功なり、疫病を治癒する寺という意味の「痾免寺」(通阿倍)の勅額を朝廷より賜ったとされています。

阿倍野は古代の豪族「安倍氏」の居住した土地で、奈良時代には安倍氏の氏寺として阿部寺が存在しました。

この寺は口碑に「阿部寺千軒坊」と残される程の大寺であったと伝えられています。

ところが平安時代になると、安倍氏が朝廷での勢力を失い、氏寺も四天王寺に併合される事になりました。

残された安倍氏の氏神社でしたが、当時熊野信仰が興り、途中の街道に熊野九十九王子と呼ばれた沢山の王子社が出来ると、当社の所在地が四天王寺と住吉大社との丁度中間に存在し、王子社の立地に相応しいお宮でしたので、当社の西門筋に熊野街道が整備され、熊野王子社の一つとなりました。

そこで当社は阿倍野に鎮座(ちんざ)しますので、阿倍野王子と呼ばれました。
お、わが町も捨てたものではない。

ところで、宮司に取材すると、「九十九とは多い、という意味である」とのこと。

さて、この神社の祭神は、伊邪那岐命(イザナギノミコト)・伊邪那美命(イザナミノミコト)・速素盞鳴命(ハヤスサノオノミコト)・応神天皇の四柱である。
やはりスサノオが祀られている。

ところで、この神社から50メートルほど北に、摂社である安倍晴明神社がある。

希代の陰陽師、安倍晴明誕生の地として、陰陽師ブームの時はずいぶん賑わった神社である。

さて、この安倍晴明、九十九王子とも呼ばれる。

これ、実は、(迦波羅)カッバーラを使わねば解き明かせない。

迦波羅の奥義は1を加える。
しかして、九十九に一を足す。すると、「百」となる。

九十九王子は「百に一足りない王子」=「白王子」(百から一を取り除くと白)となる。
「白」と「王」を重ねると、「白王子」=「皇子」。

そう、安倍晴明は天皇の血筋であった。と僕は教わった。』
(「古代出雲王国-スサノオの光と影-熊野本宮・新宮と八咫烏、九十九王子の真実 」より)
http://8550.teacup.com/shig/bbs/564

最後の「迦波羅の奥義」とはなかなか面白い。
「カッバーラ」と読むそうだが、音の響きによればインドか中近東の言葉のようだ。

調べてみると、それは「ユダヤ教神秘主義カッバーラ」 のことだった。

このブログでは、ユダヤ人モーセが神を祝うのにシュロの枝を用いよと命じたことを想像しつつ、街道に植えられているシュロの木を紹介してきた。

だから「カッバーラ」が「ユダヤ教神秘主義カッバーラ」のことだと知って大変驚いた。


『ユダヤ教には、古来より隠されてきた秘儀が存在する。
それは神の奥義であり、自己と世界の完全な認識へと導く究極の叡智である。
人間から隔離された神智――ユダヤ人はその神秘をユダヤ教神秘主義カッバーラと呼ぶ。カッバーラとはヘブライ語で「受け取る」という意味の動詞。

その言葉通り、絶対神ヤハウェから一方的に授けられた叡智を指す。
カッバーラとは自らの力で理解し体得するものではない。
絶対神が授けない限り、たとえどれだけ修行しようとも、カッバーラの前では何の意味もないのだ。

聖書には『先見者』、『預言者』なる人物が登場する。

預言者とは、その名が示すとおり「言葉を預かる者」、神の言葉を聞く者である。

ヨハネ書には、こうある。
「初めに言(=ロゴス)があった。
言は神とともにあった。言は神であった。」

預言者とは絶対神の代弁者であり、神の御魂を預かっている。
その御魂は光であり、カッバーラの叡智に他ならない。
預言者とは、すべてカッバーラの奥義を極めた人間なのである。』
(「ユダヤ教神秘主義カッバーラ 」より)
http://www.fitweb.or.jp/~entity/shinpi/kabara.html

「カバラ」とも言うらしい。

『カバラ(קַבָּלָה qabbalah, Kabbala, Cabbala)、カバラーとは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想である。
独特の宇宙観を持っていることから、しばしば仏教の神秘思想である密教との類似性を指摘されることがある。

カバラーはヘブライ語の動詞キッベール「受け入れる」「伝承する」の名詞形で、「受け入れ」「伝承」を意味する。
カバラーが登場する以前のゲオニーム時代には、単に口伝律法を指す言葉として用いられた。

したがって、その後ユダヤ教神秘主義を指す呼称となった際にも、個人が独自に体得した神秘思想というよりは、神から伝授された知恵、あるいは師が弟子に伝承した神秘という意味で用いられることになる。

カバラーはユダヤ教の伝統に忠実な側面を持とうとしたという点において、他の宗教の神秘主義とは異なる。
本来のカバラーは、ユダヤ教の律法を遵守すること、あるいは神から律法の真意を学ぶことを目的とした。

したがって、正統的なユダヤ教との親和性を持っていた時期もあったため、必ずしも秘教的な神秘思想とは言えない。

しかし、キリスト教の神秘家に採り入れられるようになると、ユダヤ教の伝統からは乖離した極めて個人的な神秘体験の追究の手段として用いられることになる。』
(カバラ(Wikipedia)より)


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秦氏の集い

裏神道 下鴨神社の高官のナマの声を差し上げましょう。
 
 
われら忌部は秦氏の中でも祭祀を専門に担ってきた。よろしいか?
われら忌部は秦氏の中で祭祀を職に持つ者。よって、われら忌部は秦氏と同族である。
しかして、われら忌部は物部に祖がある。
物部氏の中でも祭祀を担当するわれらの祖先が後に神武天皇と共に渡来した秦氏と
婚姻を結び、現在秦氏としての忌部がある。

賀茂氏は忌部の中でも最高の祭祀支族である。大祭司は賀茂氏であり、忌部の中の忌部である。
よって、賀茂氏も秦氏である。神宮の祭祀は中臣氏であるが、それは表の儀式。

陰陽道は裏表がある。裏の祭祀で神宮の心御柱を直接奉蔡されるのは賀茂氏。
賀茂氏の中でも陛下直属の賀茂氏は戸籍と姓名が無い。

戸籍の無き賀茂氏をわれらは「漢波羅」と呼ぶ。表の陰陽師を陰陽師、裏の陰陽師を漢波羅と申す。
この漢波羅が神道奥義を握っておられる。


by 秦氏の集い (2011-03-02 20:29) 

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