安重根は今日的問題 [奥州街道日記]

TS393276.jpgTS393276夕方の奥州街道

「伊藤博文暗殺犯安重根処刑100年、追悼ではなく顕彰一色の韓国」という記事の要旨を抜粋する。
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/0204ff8d4f12ec7f542e551708b1080d

2010年03月27日付けの記事である。
つまり今年の春の「まさに今日的問題」として扱われている。

『陸軍本部に「安重根将軍室」設置 (中央日報)3月26日

陸軍が安重根(アン・ジュングン)義士殉国100年を翌日に控えた25日、忠清南道(チュンチョンナムド)鶏竜台(ケリョンデ)陸軍本部に『安重根将軍室』を設置した。

陸軍の関係者は『国民的英雄として尊敬されている安重根義士を‘軍人精神の師表’‘軍人の表象’とするために安重根将軍室を設けた』と述べた。
陸軍本部内の将軍室開館は、2005年に設置された韓国戦争(1950-53)の英雄ペク・ソンヨプ将軍室に継いで2度目となる。

韓民求(ハン・ミング)陸軍参謀総長は安重根将軍室を開館した背景について
『安義士は殉国の前、「大韓義軍参謀中将(将軍級)として敵将を射殺したため戦争捕虜として扱ってほしい」と日帝に要求した。
安義士は自ら将軍だと主張した』と説明した。

安義士が所属した大韓義軍は、高宗(コジョン)皇帝から直接支援金を受けて日帝の侵略に対抗した軍事組織。
1910年6月21日には『13道義軍』として再発足し、抗日独立闘争の中心になった。

◇報勲処の立場は=国家報勲処は安重根義士を『将軍』と呼ぶのに反対する立場だ。

金揚(キム・ヤン)報勲処長は『数十年に1人が出てくるかどうかという義士を毎年60人ずつ輩出される将軍として呼ぶのは不適切だ』とし『今まで義士と呼んできた人物を将軍と呼べばむしろ降格させることになる』と述べた。

報勲処の関係者は『安義士が正式に軍隊に属したこともないので将軍と呼ぶのはふさわしくない。
歴史的な義挙をした人物なので今後も‘義士’と呼ぶことにした』と説明した。 』(前述記事より抜粋)

韓国国内でも、安重根をどのような英雄として祭るのか、意見がさまざまにあるようだ。

同じ記事で安重根の遺骨がまだ発見されていないことを嘆いていた。

『「愛国の魂、平和のたいまつに」 安重根義士殉国100年、全国で追悼式 (東亜日報 )

安重根(アン・ジュングン)義士殉国100年を追悼する行事が、26日に全国各地や海外で行われた。

鄭首相は追悼の辞で、『まだ安義士の遺骨を発掘できずにいることは、残念で恥ずかしいことだ。
安義士の遺骨奉還をはじめ、烈士の高い意志を継承するために最大限努力する』と述べた。

李明博(イ・ミョンバク)大統領は同日、大統領府で開かれた拡大秘書官会議で、『(安義士に)申し訳ないと思うのは、「私が死んだ後に私の骨をハルビン公園のそばに埋めて、国権が回復したら故国に移してほしい」と遺言を残したが、今までその意志を果たせずにいることだ。

遅くなったが、日本だけでなく中国とも協力して、遺骨を迎えられる可能なすべての方法を模索する』と明らかにした。 』(前述記事より抜粋)

また、世界にいる韓国人カトリック教徒たちは、安重根の義挙は「信仰の延長線上にある」としている。

『ソウル明洞(ミョンドン)聖堂では同日午後、ソウル大教区長の鄭鎮奭(チョン・ジンソク)枢機卿の執典で、安義士追悼ミサが行われた。
鄭枢機卿は講論を通じて、「安義士が義挙後に真っ先にしたことが祈祷であり、刑務所でも10分間、祈りを捧げて堂々と刑場に歩いていった。

あの方は、自分の行動が天主教の信仰と教理に外れていないと確信していた。

あの方の独立闘争と義挙は、信仰の延長線上にある」と述べた。

同日、ソウル広場で中央追悼式が開かれた時間に、安重根義士記念事業会などは、安義士の墟墓がある孝昌(ヒョチャン)公園で追悼祭を行った。
培花(ペファ)女子高校など、ソウル市内の約10の学校では、1万人余りの学生が献詩の朗読と手形を押すイベントに参加した。

京畿道安城市(キョンギド・アンソンシ)の美里川(ミリネ)聖地内のシルバータウン・有無相通マウルでは、安義士の銅像の除幕式が開かれ、坡州(パジュ)出版都市では、安義士の幼名をとった応七(ウンチル)橋を渡るイベントが行われた。

米ニューヨークでも、白凡金九(キム・グ)先生記念事業会、光復会、興士団ニューヨーク支会の共同主催で、500人が参加して追悼式や遺墨展示会などが開かれた。』(前述記事より抜粋)

そして、岡田克也外相は今年2月の訪韓時に韓国外交通商省より安重根の遺骨探しへの日本の協力を要請されている。、

『安重根の遺骨探し、韓国大統領「最善尽くす」

【ソウル=箱田哲也、旅順(中国大連市)=西村大輔】
26日で処刑から100年を迎えた朝鮮独立運動家、安重根(アン・ジュングン)の遺骨の発掘に向け、韓国政府は今後、日中両政府への協力要請を一層強化する方針だ。

李明博(イ・ミョンバク)大統領は同日、遺骨発掘に『大統領として最善を尽くす』と意欲をみせた。

韓国では今も、初代韓国統監の伊藤博文を暗殺した安重根を『義士』と呼ぶのが一般的だ。

安重根が刑執行まで東洋人の団結を呼びかけた『東洋平和論』にも改めて光があたっている。
ただ、国家の英雄の遺骨がどこにあるかは不明のままだ。

韓国政府は2008年に調査団を派遣し、中国・大連市旅順口区の旧旅順監獄周辺で大規模な発掘調査をしたほか、北朝鮮も調査団を派遣したことがあるが見つからなかった。

旧旅順監獄には26日、韓国の国会議員や学者らが訪れ、安重根が処刑された当時の死刑台が復元されている『安重根義士就義地』で追悼式典を開催。
式典後は遺骨が埋まっている可能性があるとみられる監獄周辺の住宅開発地や古い墓地などを視察した。

韓国国内では『日本に埋葬地を示す記録がある可能性が高い』との見方が広がっており、韓国外交通商省の金英善(キム・ヨンソン)・報道官は25日、岡田克也外相が2月に訪韓した際、柳明桓(ユ・ミョンファン)・外交通商相から協力を要請したことを明らかにした。

日本側は、これまでに該当する資料は見つかっていないと回答してきた。

旅順での追悼式に参加した韓国国会議員の朴振(パク・チン)氏は朝日新聞の取材に『(遺骨に関する)資料があるなら、日本は韓国に返還するべきだ。遺骨を探し出すために韓中日が共同して発掘することを強く要求していく』と話した。』(前述記事より抜粋)

この記事には親日派の良心的な解釈も並べて記載されていた。

「安重根の歴史評価」は韓国国内でもまだ揺れているということだった。
おおむね、赤穂浪士のような朱子学思想から見れば最高の徳とされる「義士」としての評価は定まっているようだが、それ以上の英雄と見るかどうかで分かれている。

日本国内ではおおむね総理大臣暗殺犯としての印象だけであり、彼の行為が後の日韓併合を加速したとかしなかったといいう議論は一部の歴史家あるいは歴史に関係ある日本人の間の議論のように思われる。

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