手を出すな~奥州街道(4-154) [奥州街道日記]

TS393236.jpgTS393236山間の稲田
TS393237.jpgTS393237神の存在を思わせる雲と光
TS393238.jpgTS393238古代そのままの川

山間の稲田を眺めながら歩いている。
標高が高くなっているのだろう、空の雲が近くに感じられる。

雲と光が織り成す模様を見ていると、古代の神の存在を実感するようである。

よいこと、悪いことが起これば、人々が神に祈った気持ちが何となくわかるような気がする。

同じ空でもモンゴルや中国、インドとは景色が異なるだろう。

気温と水蒸気のかもし出す風景であるから、これは日本独特の光景だと思う。

小さな川が眼下に流れている。
川原を見ると河川敷一面がつた類と思われる雑草に覆われている。

つまりまったく人手が入っていない川である。

おそらく古代からずっとそのままの姿を保ってきたのだろう。

こういう川で暮らす魚介類や動物は、永遠に幸福な生活を続けていけるはずだ。

人間が『河川管理』という人間だけの目的のために手を下すと、人間以外は甚大な被害を蒙ることになる。

「やはり野に置け 蓮華草」という句が自然と頭に浮かんできた。

「ことわざデータバンク」を見てみると、それは俳句の一部だった。
http://www.sanabo.com/kotowaza/arc/2001/09/post_785.html

播磨の俳人瓢水の句「手に取るな やはり野におけ 蓮華草」

「手に取るな」と動作を禁止する言葉が頭についていた。

句の意味はこうである。

「蓮華草は野原で咲いているからこそ美しいということ。そのものに合った環境に置くのがよいというたとえ。 」

そこで私(ペンネーム源太郎)も一句。

「手は要らぬ やはりそのまま 河川敷」 源太郎

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