スパイは墓を複数作り足跡をくらます [つれづれ日記]

松の廊下事件の際に大石良重がいなかった理由はわかった。
すでに亡くなっていたからだ。

浅野長矩の勅使饗応役を世話したのは確かに大石良重だったが、それは一回目のお役目のときであった。
それは無事に勤め上げている。

『(浅野長矩は)(天和3年2月6日(1683年3月4日)には、霊元天皇の勅使として江戸に下向予定の花山院定誠(正二位内大臣)・千種有能(正二位権大納言)の両名の饗応役を拝命し、3月に両名が下向してくるとその饗応にあたった。

このとき高家吉良義央が勅使饗応指南役として付いていたが、浅野は勅使饗応役を無事務め上げている。

なおこの際に院使饗応役を勤めたのは菰野藩主土方雄豊であった。雄豊の娘はのちに長矩の弟浅野長広と結婚している。

この役目の折に浅野家と土方家のあいだで縁談話が持ち上がったと考えられる。
勅使饗応役のお役目が終わった直後の5月に阿久里と正式に結婚。

またこの結婚と前後する5月18日には家老大石良重(大石良雄の大叔父。また浅野家の親族でもある。詳しくは各項目参照のこと)が江戸で死去している。

大石良重は若くして筆頭家老になった大石良雄の後見人をつとめ、また幼少の藩主浅野長矩を補佐し、二人に代わって赤穂藩政を実質的に執ってきた老臣である。

しかしこれによって長矩に藩政の実権が移ったとは考えにくい。

長矩は依然数え年で17歳(満15歳)であり、国許の大石内蔵助もすでに筆頭家老の肩書は与えられていたとはいえ、数え年で25歳にすぎない。

したがって藩の実権は大石良重に次ぐ老臣大野知房(末席家老)に自然に移っていったと考えられる。』(浅野長矩(Wikipedia)より)

江戸詰めの赤穂藩家老として老人大石良重は主君の世話を勤めきっている。

二回目の勅使饗応役のときに、浅野は吉良を切りつけた。
お世話役は老臣大野知房(末席家老)に変わっていたのであろう。

先の記事「実在した山鹿流陣太鼓」のところで「梶川与怱兵衛筆記」を紹介したが、事件の際の松の廊下の登場人物には浅野家の大野知房の名はなかった。

家臣は別の間で待機していて、事件の騒ぎに気づかなかったのだろうか。


『大野 知房(おおの ともふさ、生没年不詳)は播州赤穂藩浅野家の末席家老650石。
『忠臣蔵』における不忠臣の代表格。

一方で優秀な経済官僚であったといわれる。
通称は九郎兵衛(くろべえ)。

大野知房は藩財政の運営と塩田開発に手腕を発揮して家老に取り立てられた。

元禄赤穂事件時にはかなりの高齢だったと見られる。

赤穂藩番頭の伊藤五右衛門(450石)は弟といわれる(一説に甥)。

元禄14年(1701年)3月14日、主君浅野長矩の吉良義央への江戸城での刃傷により、浅野長矩は切腹、赤穂浅野家は断絶と決まった。

筆頭家老大石良雄とともに大野は赤穂城での評定を主宰。

大野は開城恭順を主張し、籠城を主張する大石派の藩士と対立した。

また、分配金の配分では大石は微禄の者に手厚く配分すべきとしたのに対して、大野は石高に応じて配分すべきと主張している。
結局、大石の意見どおりに配分され、大野は藩内で孤立を深めた。

特に大野は、足軽頭原元辰と札座奉行岡島常樹の兄弟と対立した。

大野の原兄弟への憎悪はかなり深かったようで、三次藩士・久保田源大夫に向けて出した書状のなかで原を「無理非道の者」などと罵倒している。

また大野は、岡島の部下の小役人達が改易の混乱に乗じて金銀を奪って逃亡する事件をとらえて、岡島も一味に違いないと吹聴したといわれる。

これに激怒した岡島は、4月12日に大野邸に乗り込んだが、大野は会おうとはせず、やむをえず岡島は大野の弟の伊藤五右衛門邸へ行き、伝言を頼んで帰った。

しかしその日の夜、大野は子息の大野群右衛門とともに家財を置いたまま船で逐電する。

よほど慌てていたと見え、幼い孫娘を屋敷に置いたままにしたうえ、女駕籠にて逃げたことが堀部武庸筆記に記されている。

その後の大野については諸説あるが、元禄16年(1703年)4月に伊藤東涯が並河天民へおくった書簡に九郎兵衛と伊藤五右衛門の事が書かれている。

伊藤東涯と大野兄弟は親族関係なのであろうか。

ともかくそれによると「伴閑精」と称して、京都の仁和寺の辺りに住んでいたという。

元禄16年(1703年)4月6日に衰死して東山の黒谷に葬られたことも書かれている。
これは伊藤五右衛門が埋葬してくれた日夏長兵衛へ対して送った4月17日付けの礼状にも記述があるという。

また群馬県安中市の松岸寺にある林遊謙なる者の墓があり、これが大野であるという伝承もあるが、この墓碑には「慈望遊議居士 寛延四年九月二十四日」と書かれている。

これに従えば、大野は赤穂城開城時から50年以上も生きたことになり、疑わしい。

山形県の板谷峠にも大野のものと伝わる石碑がある。

ここには大石良雄が討ち入りに失敗した時のための「第二陣」を大野知房が率いてこの板谷峠に潜伏し、大石らの討ち入りが成功したのを聞いて歓喜し、その場で自害したという伝説が残るのだが、伝説の域を出ていない。

更に、山梨県甲府市の能成寺にも大野が隠れ住んでいたという伝承があり、墓石には「幽玄院真岩猶夢居士」と刻まれている。

大野は人々から不忠臣として扱われ、長く庶民から憎まれ続けた。

大野邸跡に残る柳の木は不忠柳と呼ばれている。

また歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』でも大野は悪役「斧九太夫」として登場する。』(大野知房(Wikipedia))

大野知房(九郎兵衛)の墓は全国各地にある。
京都東山、群馬安中市、山形県板谷峠、山梨県甲府市と幅広い。

一般に素性や経歴を消す目的で墓を複数作ることは、スパイの定石である。

大野の素性や足跡が後の時代に知れては困るという理由があったのだろう。

忠臣ではない赤穂藩元家老となれば、墓も暴かれていたずらされるという不安も遺族にあったのかもしれないが、遺族が墓を複数置いてかく乱するということは考えにくい。あらされるのが怖いなら、墓を作らねばよいだけだ。
寺が位牌と遺骨を預かってくれる。

あちこちに墓を設けるのは、財力と政治力がある人物の画策によるものだ。

大野九郎兵衛ともいうから、歌舞伎原作者は「斧九太夫」とあだ名したのであろう。

『斧九太夫【おの くだゆう】…仮名手本キャラ。大野九郎兵衛がモデル。

大石(大星)とたもとをわけたあと、敵方吉良のスパイとなり、祇園で遊びほうける大石に討ち入りの意思があるかないかを探りにのこのこやって来る。

殿の命日なのに大石にタコの刺身を食べさせたり、刀を抜いて錆をコソ見したり。

老齢ながら縁の下に隠れるなどして諜報活動を続けた結果、密書の盗み見に成功するが、最終的に潜んでるところを大石に引っ張りだされ、「てめえよくも命日にタコなんぞ食わせやがったなこの野郎!」といままでとぼけてた大石に逆上され、寺坂吉右衛門(寺岡平右衛門)に河原で始末される。』(斧九太夫(Kusupedia)より)

歌舞伎原作者は大野九郎兵衛を幕府側のスパイだと設定している。
スパイであった可能性は高いが、朝廷側のスパイだった可能性も残る。

歌舞伎では寺坂吉右衛門に大野は殺されている。
実は四十七士の一人である寺坂吉右衛門にもスパイのにおいがする。

私は本所松坂町吉良屋敷から泉岳寺まで赤穂浪士と同じ道を辿って歩いたことがある。

新橋を通過して品川へ出るまでの間のどこかで寺坂吉右衛門は行軍から逃亡している。

右へ走れば大名屋敷が並ぶ街区である。

どこかに飛び込んで、討ち入りの詳細を語ったはずだ。
つまり討ち入り前から討ち入りの様子を詳細に報告する役目を寺坂は負っていたのである。

逃亡に当たって、複数の浪士たちが寺坂の逃亡をかばっている様子がある。

大石が容認していたかどうかは不明である。

少なくとも寺坂が泉岳寺に行く前に逃亡し切腹を免れるということについて、四十七士の中に了解していたものが複数いたのは確かだろう。

今泉岳寺に行くと、四十七の墓の中にちゃんと寺坂吉右衛門の墓もある。
どこかの寺の小使いか何かをして80歳くらいになるまで長生きして、それから遺骨が泉岳寺へとやってきたのだろう。

泉岳寺以外にも、この寺坂吉右衛門の墓は全国にいくつかあるのだ。

寺坂もスパイであった可能性がある。

寺坂は討ち入りの詳細を黒幕と近松門左衛門に報告したのではないか?
原作者は事前に書いておいたシナリオと実際の討ち入りの齟齬を修正することができるからだ。

歌舞伎にあるように、大野の口封じのために寺坂が殺害した可能性もあり得る。
その場合は、浅野を刃傷事件へ落とす役割の大野と、シナリオの完成責務を負う寺坂の姿が浮かんでくる。

松の廊下の事件を回避させるべき役目を負っていた末席家老の大野九郎兵衛は江戸城で何をしていたのか。
浅野の勅使饗応役を無事に済ませるべく働いていたのであろうか。

一回目の勅使饗応役は大石良重の努力で無事に乗り切っている。
浅野は二回目の体験である。

大野さえしっかりしていれば、無難に勤め上げていてもおかしくはない。
スパイだとすると大野は「逆に動いた」のではないかという疑いを捨てきれない。


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MatNast

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by MatNast (2020-01-22 10:31) 

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