放射能被爆から逃れるには? ヤジキタ珍問答 [つれづれ日記]

[ヤジサン→キタサン]3月13日

こんにちは、ヤジです。
こういう状況ですから、セミナーの開催中止は止むを得ないですね。

今回の災害で、死者は1万人を超えると言っていましたが、数万人に上るかも知れませんね。

それに福島の原子力発電所の事故がなかなか収束しないのが気になりますね。

また、3号機が爆発したようですが、今までだったら、ほんの少しの放射能漏洩でも大騒ぎしていたことを思うと、今回の事故は超大事故です。

それにしては、今回、日本国民は冷静ですね。
枝野官房長官が必死になって記者会見し、適時状況報告をしていることも影響しているのでしょう。

チェルノブイリの原発事故では半径3000km(あとで間違いとわかる、30kmが正解)が立ち入り禁止になったそうですが、日本だったら、日本国民全員が海外に移住しなくてはならなくなりますね。(これはオーバーだった)

なんとしても早く収束してもらいたいものです。

[キタサン→ヤジサン]3月14日

キタです。
だいたい1000kmがどのくらいの距離か、体感でわかります。
四国一周のお遍路が1500km、奥州街道が730km、東海道、中仙道が500km。
お遍路はまだやっていませんが、奥州街道の2倍となると、とても大変なことが実感できます。五街道はすべて踏破しましたから。

3000kmでしたかチェルノヴィリは・・・(あとで間違いに気づくことになる)
大変なもんですなあ。

私も原発反対運動をしなかった人間なので、いっぱしの責任はあるかも。

賛成もしていなかったが、日和見としての責任ですね。

しっかり学習すれば、こういう事態が発生する確率がどのくらいあるかはわかるはずでしたが。そしてわかれば反対すべきでしたね。

行くところまでいくしかないのではないでしょうか。

設計時にこういう事態を想定していなかったということは、暴走を食い止めるコントロールロジックを織り込んでいないということ、つまり暴走する確率はかなり高いと思っておくべきでしょうね。

反対しなかった日本人としては、何があってもうろたえることなく、運命を教授すべきでしょう。

反対した日本人もおとなしくニュースを聞いていたりしたら、変な国民ですね。

反対した人ほど「ムシロ旗」を持って原発玄関に堂々と並ぶべきでしょう。
彼らは大変えらかったということが証明されたわけですから、東電もちゃんとお茶とケーキくらい出して接待すべきでしょうね。

我家としては、九州にあるオヤジの畑で野宿することが日本列島内では一番原発から遠ざかることになります。

最悪の選択肢は九州へ逃げるとなりますね。

福島出身の総理大臣はずいぶん多いようですが、江戸の電気需要を全部任されることと取引でなったのかしらね。

まさか県民もこんなめに会うなんて。

私は、以前から原発建設は宮内庁に隣接して造れと思っていました。

それほど安全なものならば、堂々とど真ん中でやれと。

知識のない県民に対して東電がうそをいっているのが明らかなので、そう思った次第です。
この「キタサン案」を採用していたら、今頃天皇さまも除染作業が必要になっていることでしょう。

東京の利権エゴが、姿を変えて国民の前に露出してきている。

そのように私には見えます。

ご安全に!

[ヤジサン→キタさん]3月14日

ヤジです。
すみません。間違っていました。
(チェルノブイリ事故で)住民移転になったのは3000kmではなく、30kmの間違いでした。
(チェルノブイリ事故では)半径約90kmのところで、185kBq/㎡のセシウム-137に汚染されたそうです。

この量が、人体に如何ほどの影響を与えるものかは、わかりませんが・・・。

訂正してお詫びいたします。


[キタサン→ヤジサン]3月14日

間違いはわかりました。
30kmなら、二日で歩いていける距離です。

江戸時代の女足で24km/日、男足で39km/日です。
東海道を、毎日フルマラソンに近い距離を歩いて江戸時代の先輩方は旅行していたのです。

つまり、街道歩き大好きな私が本気で逃げれば、2日で脱出できる距離だと記憶しておきます。徹夜で歩けば丸1日で脱出できます。

ありがとうございました。

もし3000kmなら、早めに自分の棺おけを買っておこうと思っていたところでした。
よかった、よかった。

爆発後の放射能低下は危険か安全か?! [つれづれ日記]

地震直後に私は家内とテレビライブ放送を見ていました。
数万人、少なくとも1万人以上が亡くなっているのではないかと推測していました。

被災後2日に総理は自衛隊2万人動員しているが、5万人、それ以上への増員検討をしていると記者会見しました。

官僚答弁を管さんは読まされていることに本人が気づかない状態になってしまっているようだ。

1000人超という死者数推定だからそうなのか?

12日(土)深夜3時半頃のフジテレビではある自治体1万人そのものが所在不明との観測を伝えていた。
行方不明者を県に連絡する市庁舎自体が津波に飲み込まれているということだ。

エイズ事件ではあれほど国民サイドに立って的確な判断ができていた管さんだが、総理まで出世するとどうやら自身の直感を蔵にしまいこんで、官僚の保身答弁を丸読みするようにしている。

自衛隊は最初から全体動員すべきだった。
理由は「税金」で働いている軍隊だからだ。

9日午後3時~6時の放映を見ていれば、救援体制はやりすぎるということはなかったはずだ。

予算を気にしながら小出しに応援するなど、見てられない政府のうろたえぶりに見える。

数万人の行方不明という事実が新聞テレビで放映されなければ、東京の日本政府は国民救出を本気で考えないらしい。

ミズに飲まれた皆さんの税金で、官僚の彼らは家族を高給で幸福に養っているのです。
ミズに飲まれたあなた方のことについては、予算残額をにらみつつ、小出しに使うのです。

この事実をしっかり見ておきましょう。

戦後半世紀を掛けて優秀な人々が作り上げた官僚組織国日本の国民の生命と財産を守る姿勢が如実に現れています。

もう今後はこういうおかしな政治にはだまされないようにしなければなりません。

「濃かった福島1号機原発の放射能がモニタリングで減少したから安心」と子供だましの発言を官房長官がしていました。

爆発後に拡散して市民の上に放射能が降り注いでいることは明らかです。
風向きと被害拡散方向を明らかにし、風下の市民は一刻を争って遠くへ逃げるべきときに、測定値が下がったと報道する神経もわかりません。

技術者なら濃かった放射能が爆発後に低下したら、単純に市内に拡散したということはわかります。

技術系官僚がうその答弁を読ませているのではないかと疑われます。
それで被爆した市民が出たら、誰が責任を取れるのか?
おそらく知らないフリを通すことでしょう。

爆発で濃度が低下したならば安心するのではなく、急いで遠くへ避難すべきと技術系の私は考えます。

それは官房長官の安心感を与えるような言葉とは真反対の意見です。

でたらめなNHK放映、それに国や県の防災システムだ! [つれづれ日記]

知人がいつもの経済レポートをメールで送ってくれたが、災害発生時のこういうときに送ってよいものかと躊躇しながら「犠牲者の方々のご冥福を、また被害者の方々の早期復旧をお祈りするのみであります。 合掌」とメール文を結んでいた。

以下はそれへの私からの返信であるが、税金泥棒の国会議員や県・市職員たち、それにNHKは耳をそばだてて聞いてほしい。

『合掌しつつも継続することに敬意を表します。

道元が定めた作法は750年間1日たりとも中断することなく、永平寺で実行されています。
戊辰戦争のときも、日清日露、真珠湾に広島、長崎のその日もまったく変わることなく同じ作法を続けています。

昨日の中継を見ていて、半世紀の期間と莫大な費用を投じてきた防災システムがかくもお粗末なものだったのかと驚きました。

小学校の校庭を走っている50名くらいの人の背後100Mからものすごい津波が襲ってきています。
あと1分程度で飲み込まれるだろうと予想して息を呑んだとき、画面はぱちりと切り替わりました。

放送倫理規定か何かは知らないが、一部の視聴者には「生きるか死ぬかの選択」がかかっているのです。
うそを放映して何の役にたつのでしょうか。

その小学校を見知った人が、映っている人々が溺死するシーンを見れば、自分の家が何分後にそうなるか
を容易に想像可能です。

ならば、急いで高台へ逃げるでしょう。

そういう貴重なリアルな映像を消して放映するNHKのセンスのなさを疑います。

あそこで切り替えなかったら助かった人間が何人かいたかも知れないという責任をNHKは感じるべきでしょう。
非常時に平常時の倫理規定で画面切り替えなどするな!と私は言いたいのです。

本来ならあのヘリのテレビカメラ映像は県の防災センター長も見ているはずで、その人の適切な避難指示がなかったために人々はあと1分で津波に飲まれようとしているのです。

ならば、直接飲まれるかも知れない人々に、今飲まれているシーンを見せること以上に緊急を要する連絡方法はないでしょう。

そういう想像力のないディレクターが、自分や自社の保身を念頭に置いてシーンを無害なものに切り替えたのです。

これは「未必の故意の殺人」に該当する行為だと思います。

県の防災指示が適切にいきわたっている場合は、あえて残酷なシーンを放映する必要はないでしょう。
昨日は、まったく国の防災機能が無力の状態をさらけ出していたときでした。

そういう非常時のディレクターの訓練をNHKがやっていなかったということでしょう。
NHKには猛省を促したいと思います。

こういうテーマも防災管理、経営管理、危機管理としての重要な課題です。

半世紀もかけて税金を大量に投入して、なおまったく機能していない国の危機管理を
一体どうするのか?!

税金泥棒たちよ!

こういうときにこそ、声を大にすべきときでしょう。

合掌して口をつぐんでいてはなりません!
タグ:NHK放映 でたらめな 国や県の防災システム 犠牲者の方々のご冥福 合掌 税金泥棒の国会議員 県・市職員 NHK 耳をそばだてて 道元 継続 半世紀の期間 莫大な費用 を投じてきた防災システム お粗末 驚きました 小学校の校庭 50名くらい 人の背後 100M ものすごい津波 あと1分程度で飲み込まれるだろう 息を呑んだ 画面 切り替わり 放送倫理規定 一部の視聴者 生きるか死ぬかの選択 うそを放映 何の役にたつ 小学校を見知った人 映っている人々が溺死するシーン 自分の家が何分後にそうなるかを容易に想像可能 急いで高台へ逃げる 貴重なリアルな映像 消して放映 NHKのセンスのなさ 助かった人間が何人かいたかも知れない 責任 NHKは感じるべき 非常時に平常時の倫理規定で画面切り替え ヘリのテレビカメラ映像 県の防災センター長 見ているはず その人の適切な避難指示がなかった あと1分で津波に飲まれようと 直接飲まれるかも知れない人々 今飲まれているシーンを見せること 緊急を要する連絡方法 想像力のないディレクター 自分や自社の保身 未必の故意の殺人 該当する行為 残酷なシーン 非常時のディレクターの訓練 猛省を促したい 危機管理 半世紀もかけて 税金を大量に投入して なおまったく機能していない 国の危機管理 一体どうするのか?! 税金泥棒たちよ!

神を祝う~長州(143) [萩の吉田松陰]

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SH3B0564周囲には根元から切られたシュロが数本
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SH3B0565更に坂の下にもう1本シュロの木が見える
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SH3B0566この急斜面を降りている

もともとは車で通った山道に、ツタや草に絡まった大きなシュロの木を見つけて停車した。
歩いてシュロに近づくと、「岩屋古墳」という案内が坂の下を指していた。
その急な坂道を下って少し平らになったところに、もう1本のシュロの木を見出した。
1本と思ったが、その周囲を見渡すとあちこちに根元から切断されたシュロの木の幹があり、切り株から逞しくも青々としたシュロの若葉が扇のような形で芽吹き始めている。

人間は何かの都合で植えて、そして何かの不都合でシュロを切った。
しかし、シュロの若芽は切り株からまた生えてくる。

切っても切っても、また生えてくるのだ。

最初に神を祝うためにモーセの教えに従い植えたシュロだった。
しかし、人々がシルクロードの旅の記憶さえ消し去ったあと、切られた。

しかし、現代において、また若芽は芽吹いてきたのである。

何のために若芽は天を突くかのように芽吹くのか?

それは神を祝うためである。

ここからはやや緩やかな傾斜になり、坂は森の中へと下っていく。
この坂の先の方、森に入ろうとするあたりに、もう1本別のシュロの木が見える

私を誘(いざな)うかのように、適度な感覚で坂道の先へ、先へとシュロの木が見出せた。

私は自然にシュロの木に誘われて、森の中へと坂を下っている。
まるで真夏の森の中を夢遊病者がさまようかのような気分である。

あたりに人影はまったく見えない。

だんだん森影によって辺りは暗くなってくる。

室積の岩屋古墳~長州(142) [萩の吉田松陰]

SH3B0561.jpgSH3B0561案内札が坂の上にある
SH3B0562.jpgSH3B0562岩屋古墳入口
SH3B0563.jpgSH3B0563坂を下りるとそこにもシュロの木

象鼻ヶ岬を通過して簡保の宿の坂をのぼり、そこを通り過ぎて山道へ入った。
ツタや草が絡まって一見シュロの木であるかどうかわからなくなっている太ったシュロを発見し、車を止めて近づいた。

昔は人々が住んでいた場所だろう。
シュロは道案内の役割をしている。

武蔵一ノ宮から中氷川神社、氷川女体神社の3社を参るときにも案内をしてくれた。また奥州街道沿いには宿場駅ごとに大きなシュロの木があった。

武蔵一ノ宮は確か紀元前473年創建の神社で関東に最初にできた神社という意味である。

創建当時に既にシュロがあった可能性がある。
そうであれば、それはイエス生誕前のことであるから、シュロの木はイエス復活を祝うのではなく、旧約聖書にいうところのモーセの教えに従うものであろう。

草に絡まれたシュロの木に近づくと、近くに木製の案内板が坂の上に立ててあった。

「岩屋(いわや)古墳入口」と書いてある。

旧約聖書を信奉した祖先たちが住んでいたのであろうか。

坂を下って古墳のほうへと歩いていく。

坂がいったん平たくなって再び下がっていくように道は続いているが、平たくなったとこにもシュロの木があった。


やはり人間をあるところへ導く役割をシュロがしているようだ。

室積の山奥のシュロ~長州(141) [萩の吉田松陰]

SH3B0557.jpgSH3B0557光市室積の象鼻ヶ岬
SH3B0558.jpgSH3B0558室積漁港方面
SH3B0560.jpgSH3B0560簡保センターの奥へ

神が好む光を浴びて、私は光市の室積海岸沿いをやや山手へと上っていった。
郵貯簡保センターの保養所がある小道をそのまま突っ切って山の中へ入っていくと、誰も住んでいない場所にシュロの木が立っていた。

道に立つシュロの木は、そこに何かあるか、そこが大事な分岐点であることを示唆する場合が多い。

車を道端に止めて、私はシュロの木のところまで歩い近づいていった。

光市のシュロ並木~長州(140) [萩の吉田松陰]

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SH3B0554これより光市の松原
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SH3B0555交差点にシュロの木
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SH3B0556室積の信号を左折し、光市母子殺人事件現場に接近したとき見たシュロ並木

右に瀬戸の海を見ながら光市へと入る。
松原の松の緑はまだ健全である。

JR光駅を左に見て通過すると、市内の景色が昔よりも垢抜けて見える。
あとで光市に住む知人に教えてもらったのだが、最近電線の地中化を実施したそうだ。

電柱と電線がなくなると、少し欧州の町の雰囲気がかもし出されてくるような気がする。

日曜大工の店ジュンテンドー最寄の交差点に立派なシュロ木がデンと立っていた。
何度もここを通ったが、ザビエルを意識し始めてからだと思うが、初めてこのシュロの存在に気づいた。

見て知ってはいたが、意識の中には無かったといっていいシュロである。

光もシュロで神を祝う心が根付いているようだ。

千鳥橋を渡ると製鉄所が右手に広がる。
昔は光海軍工廠だったところだ。

その千鳥橋の上で、幕末に第2奇兵隊を脱走し、尾道代官所を襲撃した立石孫一郎は射殺された。
司馬遼太郎氏も短編小説として取り上げていた。

その墓石が千鳥端の東側たもとに立っているが、そこにはシュロの木は無かったと思う。

国道188号線を通って光市を突き抜けると、バスターミナル駅がある港町室積へ着く。
江戸時代までは自然の良港で海運でにぎわっていた町である。

ここを右手に曲がれば観光名所の象鼻ケ岬(ぞうびがさき)である。
そこに来島だったか来原だったか、松陰ゆかりの志士が神として祭られている話題は以前このブログに上げたが、私はそのことを知らなかった。

逆に室積の信号を左折すると、全国で有名になった光市母子殺人事件現場のアパートに至る。道路そばの第7棟の4階東側角部屋が現場であった。

そこへ向かう途中、スーパーマーケットの前に「これでもか!」とシュロの並木が登場してきた。

意識し始めてから初めて見る棕櫚並木であるが、それには圧倒された。
何度も日常見ていたものだったが、その当時はシュロの意味など考えもしなかった。

同じ信仰を持つものたちは、ここへ来たときにほっとするのであろう。
そうではない私は「ぎょっ」としている。

毛利志摩守の椰子並木~長州(139) [萩の吉田松陰]

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SH3B0548車中泊旅行の必需品「コインランドリー」
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SH3B0549徳山から光市へ向かう途中、国道2号線に並ぶ椰子並木
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SH3B0553出光や帝人プラント前の特に密な椰子並木

以前、周防に住んでいたとき、徳山市には何度も買い物にきたことがある。
朝、徳山駅で朝食をとった。

隠れたグルメスポットとして、私は徳山駅構内食堂を上げたい。
安くてうまい。
トイレのそばにあるが、おでんで一杯やって帰宅する夜勤上がりの人もまだ多い。

その後で駅の西側方面にあるコインランドリーを探し出した。
電話帳から住所を割り出し、カーナビで接近し発見した。

車中泊旅行では温泉と洗濯は必須業務となる。

さっぱりと着替えて、再び車は国道2号線へ。

以前、徳山市(市名も変わったかも)の国道2号線を走っているとシュロの木か椰子の木の並木があったが、それは今も健在である。

昔はなぜここに椰子があるのかわからなかったが、今回の萩の旅でなんとなくわかってきた。

ここ徳山は毛利志摩守の藩で、萩長州毛利藩の支藩である。
その毛利志摩守には隠れキリシタンの重臣がいた可能性が高い。

村田右中(うちゅう)はその一人であろうと推理している。

息子は鎌倉の禅寺住職「竹院和尚」となり、娘は萩の益田家へ養女に出し、杉百合助と結婚させ、家事で焼け出されていた百合助に嫁+住宅まで提供している。

そこで生まれたのが、吉田松陰である。

竹院和尚は鎌倉で松陰の密航計画を事前に聞き、それを後押ししている。

つまり、徳山という町は私の目から見ると、どうもキリシタンの色が濃い町なのである。

旧約聖書ではモーセは神をナツメヤシの枝で祝えといい、キリスト生誕後はカトリックではナツメヤシの枝を持ってイエス復活を祝う。

その日を「枝の主日」と呼ぶのはそういう意味からきている。

徳山の椰子(シュロ)並木がモーセのいう神を祝うものか、あるいはイエスの復活を祝うものかはわからない。

ザビエル来日後の習慣であれば、イエズス会つまりカトリックの習慣だと思われるが、日ユ同祖論にあるようにイスラエル12部族のひとつがシルクロードを通って日本列島に移住したというユダヤ人起源説によれば、紀元前の古代から居住していた渡来人の信仰である可能性も残る。

その場合は旧約聖書の神を祝う行為となる。

モーセは神は「光」を好むといったが、この椰子並木の南側には「出光」の石油プラントが並んでいる。

ならば、「光市」はもっとも神が好む町の名前だろう。
ここは戦前戦中まで海軍工廠があった場所である。

天皇を支える軍隊の中でも海軍はもっとも重要なものであっただろう。
戦艦大和の大砲も、そこの10トン電気炉で溶解し鋳込まれたと聞いている。

そうか、「光」の一文字を地名にしている市があったのである。

神の好む光か、イエス復活の光かで宗派が異なる可能性がある。

松陰を萩に生ましめた村田清風~長州(138) [萩の吉田松陰]

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石船温泉露天風呂
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石船温泉の地図
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SH3B0543早朝の鹿野の渋川
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SH3B0544上流
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SH3B0545下流

萩から瀬戸内海へ出ようと走っていて、山中で夜を迎えた。
夕べはとにかくコンビニで下半身に浴びた冷やし中華の汁を洗い落としたくて慌てて温泉へ飛び込んだ。
料金は市外の人は 600円だった。

露天風呂は山の緑が広がっていて、なかなか落ち着いた静かないい風呂だった。

ここは山口県周南市鹿野上1667-4である。
ここの漢陽寺は大内氏16代弘世が創建したというから、大内氏ゆかりの地である。

ザビエルも遊びに来たことがあるだろう。

「中国自動車道の鹿野インター最寄」と言った方が都会の方にはわかりやすいだろう。

山陰と山陽の真ん中あたりである。

露天風呂の中で萩の記憶を辿り、翌朝渋川を散歩しながら松陰と村田清風の関係を整理しようとした。

二人には短くも濃い接触があった。
およそ20年後に、持病の通風が悪化して村田清風は逝った。

松陰は詩を書いてその死を嘆いた。

「今日訃ヲキイテタダ錯愕ス。満窓ノ風雨、夢茫々タリ」

松陰26歳のとき、清風73歳のときであった。

村田清風の自宅があった萩市三隅町の方の寄稿文に、私が探していた二人の関係を取り上げたものがあった。

二人が接触したほんの10年間の出来事を総括してくれていた。

これが私が萩へ探しにいったものであったように思う。

両者ともにキリシタン人脈を持っていたと私は推測している。
信者であったかどうかは不明であるが、西洋情報の仕入先として隠れキリシタンが宣教師を通じて入手する海外情報は諜報作戦上最高級に属するものであろう。

兵学者松陰がそれを見逃すはずがない。

『触れ合い響き合(松陰と清風)
                        三隅町  平川 喜敬
 
昔から帝王や為政者の在り方を説き、またその輔佐の道をも説く帝王学と呼ばれる学問があった。

わが国には、古く中国から移入され、歴代の天皇はじめ藩政期の藩主や、輔佐の任にあたる政経家学者らの治世のよりどころとされてきた。
 
「貞観政要」や「資治通鑑」などは、松陰や清風の時代に心ある指導者必読の書とされたものである。

これらの書には、昔から中国の優れた統治下に於いては、諌議太夫という職制を置き、お上にある者は求諫の手をさしのべる責任があり、下に仕える者は納諫の義務があると説いたのである。
 
身分統制という縦の系列厳しい封建体制の中で、お上に意見苦言を訴え、政治のやり方まで改めさせようということは、命をはってかかる程の重大事であった。

この小文では、松陰と清風をその角度からのみ取り上げてみたいと思う。
 
天保元年松陰誕生のとき48歳、すでに清風は財政に通じたやりての政治家であった。
13代藩主敬親が襲封し、財政改革の御前会議あった。

清風は七箇条の精魂こもる建白をした。

松陰は、厳しい政局の中で清風に面識を持ち、漸くその意見を傾聴しようかとするころであった。
 
老志士清風が、確信の風雲児松陰に大きい期待をかけ、あつい眼差しで声をかけていくのは、清風没前の10年間ばかりのことである。
 
嘉永元年、松陰最初のオリジナルは明倫館学制の大改革についての意見書であった。

清風は勿論その時、国老益田元宣とともに明倫館再興学校惣奉行の要職にあった。

清風自身も積極意見の士であり、藩主敬親とのコンビによる「言路洞開」重視の構えは、松陰の力説する「聴政」の構えと全く揆を一にする、実践帝王学の発想であった。
 
この二人の触れ合いの10年間は、長州藩の明るい明日への命運を開くべく、共に命をはってかかる言論文筆活動の時代でもあったのである。
 
清風は恐れを知らぬ辣腕(らつわん)の老志士、松陰は利鎌の如き情熱の志士。

維新から維新後まで響く如く長州藩の政局を切り開き、その基本姿勢づくりに与えた影響は、危機意識に燃えて実践帝王学の具現化に挺身したこの二人に負う所大なるものがあった。
 
ペリー来日をその目で鋭く観察して、その足で長州藩江戸屋敷にとって帰し、火の玉の如き危機感を込めて提出したのが、有名な松陰の「将及私言」と「急務條議」であった。

その中で松陰は、国家の政治体制根幹に触れることを言ってのける。

迷運を吹っ切る如き「天下ハ天朝ノ天下ニシテ乃天下ノ天下也幕府ノ私有ニ非ズ」というのがそれである。
 
そして、「憎ム可キ俗論」として、「江戸ハ幕府ノ地ナレハ御旗本及ビ御譜代御家門ノ諸藩コソ力ヲ盡サルヘシ国主ノ列藩ハ各其ノ本国ヲ重ンスヘキコトナレハ必ズシモ力ヲ江戸ニ盡サスシテ可ナリ」を指摘するのである。

それは、愚蒙頑迷に対する痛烈なる批判と藩政庁の腰の入れ方についての怒りの声であった。
 
さらに、松陰は「聴政」の段にて、政務の非能率とマンネリをつき「宵衣?食」を訴える。

宵?(しょうかん)とて、君主政堂は旦夕政務に精励すべきことを堂々と発言し、「直諫」の段にては、近来直諫の風儀が地を払うが如く衰微して来たことは世も末である。

急ぎ内外に言路を開き、上言したき者に対しては、深夜と雖も出座してその言を傾聴すべきであるという。
 
お上こそ率先謙譲の美徳を発揮し、先ず何より「賢人を求める」姿勢に徹すべきである。面従腹背の徒は「口を箝(かん)して」語らざらしむるところに生じる現象であると痛感する。

さらに大事なことは道徳に於いても正義に於いても東洋は優れているが、科学技術においては、素直にそのおくれを認め西洋に学ぶべきとして、「砲銃」「船艦」「馬法」について改革の急務を説く。

なお「将及私言」に併せ「急務條議」として、具体的な政局の打開策、防備の改善点を説いたのであった。
 
これと前後し、清風は「遼東の以農古」「海防」「物頭心得」と矢継ぎ早に上書する。

清風はその中で、「扶桑開国以来ノ大変也」として、智力勇力財力等各々持てる力を発揮して外夷防禦の国用に供すべしと老志士の心胸を吐露し、「時乎(ときか)今なり、勢いは在上よりすべし、千言万句も身親ら行うにあり」と喝破する。

さらに「某氏意見書」に於いては、条理を尽くして善政の在り方を説くのである。
 
ついで、「野に遺賢無く、言路開けて嘉言伏す」ことなく、「天下国家の善言佳猷皆上に達し、天下諸侯の賢智謀議の助けとなり、遍く四聴を達」し得てはじめて国家繁栄安寧であるともいうのである。
 
松陰と10年間に及ぶ思想内容の中には、藩を大切にしながらも、藩を超えて、「統一国家の形成」を目指さねば「扶桑以米大変」のこの危局は乗り切れないとする危機意識と、具体的な政局の打開策に於いて、多分に揆を一にして響き合う点の濃厚なるものあるを感じざるを得ない。
 
清風の訃報に「大恩師逝きたり、嗚呼」と名山獄に悲憤慷慨の涙をのんだだけ、松陰の危機意識と難局打開についての論法は老志士清風の其れより更に一層深刻であることを思わないわけにはいかない。 』(「触れ合い響き合(松陰と清風)」より)
http://www9.ocn.ne.jp/~shohukai/syoumon/4gou.htm#hureaihibikiai

松陰がいた名山極は、野山極の間違いであろうが、地元の方は別の言い方があったのかも知れない。

「大恩師逝(ゆ)きたり、嗚呼(ああ)」

これほどに、松陰は村田清風の恩を受けて育っていたのだった。

アニメ de コンピューターウイルス [つれづれ日記]

KawaiiSecurity_Cover.jpg
書籍 カワイイ セキュリティ

「カワイイセキュリティ (三才ムック vol.365)」をAmazonで注文
リンク先URL
http://www.amazon.co.jp/dp/486199330X


私の知人の「じてんしゃ操太郎氏」が出版企画者のひとりとなって来週発売することになった本をご紹介します。
アニメでウィルスのことを学ぼうという本です。

「コンピューターウイルスなど、情報セキュリティに関する脅威とその対処法を気軽に学んでいただけるよう、イラストやまんがを使って紹介している。」ということです。

書籍名 「Kawaii Security(カワイイ セキュリティ)」(三才ムック vol.365)
監 修:PandaSecurity
出版社: 三才ブックス
発売日: 2011年3月14日 価格:1,575 (税込)

発売前ですので、私も中身はまだ見ておりませんが、幅広い読者層にコンピュータウィルスのことを知ってもらおうということのようです。

孫子の兵法に「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」という教えがあります。

敵の姿が見えにくいのが私たちには脅威ですね。
アニメで見えやすくなれば、敵に対する戦略も立てやすくなるでしょう。

経営分析ツールにSWOT分析というものがあります。
「強み弱み分析」ともいいます。

自分の内部の強みと弱みを知ることが大事ですが、それと同じくらい外部環境の機会と脅威も分析する必要があります。

戦争では敵情視察は外部環境調査に当たります。

ウィルスの姿を明らかにすることは外部環境にある脅威を分析することになるでしょう。

2000年以上も前に考え出された孫子の兵法を、ハーバードやスタンフォードの偉い経営学の先生方は企業経営分析に使えると思いつきました。

それがSWOT分析手法です。

孫子も同じだと思いますが、戦略立案は内部環境と外部環境を一致させることです。

例えば外部環境で「雨が降ってきた」という脅威が発生したなら、内部にある強みの「傘を持っている」を一致させることです。

つまり、雨が降ってきたから傘をさす。

雨という外部の脅威に対して、内部の強みで対抗できたわけです。
これが勝つための(経営)戦略になります。

「コンピュータウイルスってなんのこと?わかんなーい!」では、外部環境のことが見えません。

アニメ本で敵の正体を知り、それと自分の強みを一致させる戦略を考案しましょう。

私は通信時間が少ないという特徴(ある種ネット汚染されにくいという強み)を持っています。

昨日、LANケーブルの0.3mという短いものと、LANケーブル同士をつなぐソケットを買いました。
合計900円。

それをパソコンとLANケーブルの間につけました。

メール送受信やホームページ閲覧をする間だけケーブルは接続しますが、それ以外はソケットから片方のケーブルをはずしておきます。

つまりパソコンをネット社会から切り離しておくという戦略をとりました。

汚染するリスク(確率)も接続時間に比例して増えるだろうと思ったからです。

パソコンからいきなりLANケーブルをはずしてもいいのですが、万一パソコン側のソケットが破損した場合修理費がかさみます。

LANケーブル同士のソケット破損なら500円前後で買い替えられます。

2000円ほど出せば、LANケーブルに2台のパソコンをつないで切り替えられるスイッチが家電量販店などで売っています。
それを使えば、ボタンスイッチひとつでネットからパソコンを切り離せます。

このように私のウイルス汚染対策は物理的遮断によるものでしたが、つないでいる間はやはり感染リスクを負います。

そこはこのアニメ本で学習し敵の特徴を正しく把握しようと思います。

まずは、友人企画になる新刊書のご紹介まで。草々


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