たかが藩医・・されど・・~長州(72) [萩の吉田松陰]

SH3B0264.jpgSH3B0264青木周弼旧宅
SH3B0269.jpgSH3B0269同門
SH3B0265.jpgSH3B0265同玄関
SH3B0268.jpgSH3B0268屋敷

青木周弼旧宅とあるがどういう人物だろうか。
『幼少の頃の高杉晋作の天然痘治療にあたり、一命をとりとめた』というエピソードが
「萩・長門エリアの観光スポット」http://event.jr-odekake.net/spot/1428.html
に紹介されていた。

旧宅の門前にある説明板を抜粋する。

『日本屈指の蘭学者 青木周弼旧宅

幕末当時、青木周弼は日本屈指の蘭学者であした。
また、後に青木家を継ぐ実弟・研蔵も長崎で最新の医学を学び、種痘の技術を初めて藩にもちかえり、天然痘を予防することに成功しました。

研蔵は明治2年(1869)に、明治天皇の大典医に任命されました。

旧宅内では、萩の城下町や毛利の殿様の話なども説明しておりますので、お気軽にお入りください。

入館料100円 開館時間 午前9時~午後5時』(抜粋終わり)

たかが山陰の萩の藩医か。
されど松陰が点火してしまった革命によって、たかが藩医青木周弼の弟は天皇の主治医になってしまっている。

青木はあの村田清風と交流があったようだ。
また実弟・研蔵ともどもシーボルトの教えを受けたようだ。
医学の授業以外に宗教の講義もあったのかどうか、気になるところではある。

西洋の医術や物理、文学をただで教える手はない。
技術伝授と同時に、西洋文明の担い手として日本の若者を育成しようとした可能性は高いだろう。

種痘の医療技術は西洋医学である。

どうやら村田清風には長崎の空気が漂っているような気がしてきた。
毛利藩主とともに長州藩風を変え、とうとう吉田松陰なる人物を生ましめた人は村田清風その人であろうという気がしてきた。

鎮守になる覚悟~長州(71) [萩の吉田松陰]

SH3B0251.jpgSH3B0251高杉家伝来 鎮守堂 晋作遺愛品(再掲)

高杉晋作の自宅の庭にあった鎮守堂の意味がわかった。
それは、菅原道真信仰であった。

「高杉晋作の天神信仰」という書籍の紹介記事を抜粋する。
それには、幕末の長州藩の人々の精神的支柱は「菅原道真」だったとある。

『『高杉晋作の天神信仰』
著者:一坂太郎
発行所:防府天満宮
発行日:2008年12月
定価:1000円+税
A5判  95頁

■目次・内容
第一章 高杉晋作は天神信者
都府楼の瓦硯  獄中で道真をしのぶ  相撲で藩の命運を決める  鎮守になる覚悟
鎮守になった晋作  天神が結ぶ道  「菅原大神」の旗  余話

第二章 天満宮と奇兵隊
奇兵隊の三田尻転陣  三田尻の防御計画  祭りの警備で活躍  生野の変
酒垂山の招魂場計画  招魂場の誕生  石灯籠を天満宮に奉納  庶民の天神信仰
戦勝祈願の碑

第三章 天神信仰あれこれ
菅原道真と毛利氏  鈴木高鞆と吉田松陰  楠木正成を祀る  三条実美と松崎天満宮
伊藤甲之助の日記  国司信濃の天神信仰  萩狛犬のこと  野村望東の天神信仰
望東の戦勝祈願  暁天楼のこと
おわりに


死後は天満宮のごとくなることを望んだ高杉晋作。
松崎天満宮(防府天満宮)の裏山に招魂場を作ろうとした奇兵隊。
そして多くの人々が往来した萩往還は、起点と終点に天満宮がある「天神が結ぶ道」でもあった。

幕末長州藩の人々が「菅原道真」を「精神的支柱」としていたことを、本書で知ることができる。』(「一坂太郎『高杉晋作の天神信仰』防府天満宮(春風狂想曲幕末長州藩中心)」より)http://blog.goo.ne.jp/hayate0723/c/6cca50f42c52fa29281034f3f965ca69/3

萩往還が起点と終点に天満宮を持つ「天神が結ぶ道」であることは知らなかった。

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