赤い大天狗~長州(70) [萩の吉田松陰]

SH3B0261.jpgSH3B0261天狗の寺
SH3B0262.jpgSH3B0262シュロの木(天狗の寺の向かい)
SH3B0263.jpgSH3B0263見どころ(大天狗面、高杉晋作を勇気づけた)

「天狗の寺」とは、円政寺である。先の金比羅社社殿もその境内にある。
門前の看板に貼り紙がある。

『見どころ
国内最大級銅鏡(平成18年オークションで買い戻した)
大天狗面(高杉晋作を勇気づけた)
金比羅者(文化財)十二支の彫刻をめぐらした総ケヤ木の建物

唐獅子と牡丹の彫刻
大天狗面の前とこま犬の台座にこの彫刻を施してある

日本一の石灯篭(文化財)
昇り竜と下り竜の彫刻が施された安政5年の作』(抜粋終わり)

円政寺境内の金毘羅社の拝殿前に大きく長い鼻を持つ赤い天狗の面があるという。
高杉晋作が子供ころ、親にこの面を見せられて、物に恐れないように教育されたそうである。

同じ看板にもうひとつ案内書きが貼ってあった。

『おいでませ 萩城下町へ
この萩城下町絵図は円政寺のオリジナルです。
円政寺の拝観料200円を払うとこの地図がもらえます。

萩観光のおみやげにこの城下町観光にご利用ください。
注意)観光業者の皆様、この絵図コピー許可していません。』(抜粋終わり)

ちゃんと絵図の著作権も主張しているので、商売上手なお寺さんである。
私はこの寺には寄らなかったが、本当は寄ってあの絵図をもらい、かつ赤い大天狗を見ておくべきだった。


二孝子祈願の金比羅社~長州(69) [萩の吉田松陰]

SH3B0257.jpgSH3B0257菊屋横丁(晋作宅前の小道)
SH3B0258.jpgSH3B0258高杉伊藤両公幼年勉学の所、二孝子祈願之金比羅社
SH3B0260.jpgSH3B0260松の木の向こうが金比羅社社殿か

ここは萩市の南大字南古萩町6の円政寺の門前である。
石柱に「高杉伊藤両公幼年勉学の所」と「二孝子祈願之金比羅社」と2列に漢字が刻まれている。

『円政寺内金比羅社社殿

金比羅社の建立年は不詳であるが、入口に金比羅社に寄進された鳥居が建っており、それに延享2年(1745)と彫られている点や天保年間(1830~43)に編纂された「八江萩名所図画」に現在の社そのままの姿が描かれていることなどから、少なくともそのころには建立されていたと思われる。

本殿は木造切妻造檜皮葺で桁行1.73m、梁間1.2m、主な用材はケヤキ、柱は丸柱である。

釣屋は桁行5.41m、梁間5.1mの桟瓦葺で、内部は畳敷きである。

拝殿は一重裳階付、入母屋造本瓦葺、前面庇は檜皮葺、用材はケヤキ、柱は丸柱で、唐破風の桁行4.0m、梁間6.1mの本県独特の楼造風である。

このように社殿が地方色の濃い古い建物であることや神仏習合の形態が今でも見られる点で貴重な遺構である。

石鳥居は花崗岩製で高さ2.8m、様式は明神鳥居で笠木・島木に反りがあり、柱には転びがあり、柱頭部には台輪がついている。
建立年代は延享2年(1745)である。

山門は桁行2.42m、梁間1.34mの棟門形式で本瓦葺、両袖に1.35mの潜門がついている。
建築年代は不明である。

石灯籠は玄武岩製で高さ4.3m、さらに77cmの4段の台座上に立ち、県下最大のものである。
竿の部分の竜の高彫はすばらしく、高さ1.14m、直径52cmである。

製作年代安政5年(1858)で萩の石工五嶋吉平恒徳、同山中武祐利豊の共同制作であり、付近の人たちが寄進したものである。   萩 市』(抜粋終わり)

高杉晋作と伊藤博文(利輔)が幼い頃に勉学をした所がこの寺内にある神社だそうだ。

「幕末歴史探訪 高杉晋作 円政寺」というサイトに拝殿や灯篭の写真が紹介されていた。
http://webkohbo.com/info3/takasugi/enseiji.html

灯篭には日月の彫りこみはなかった。

「二孝子祈願之金比羅社」と門前の石柱に書いてある。
金比羅社は四国の海の守り神で有名であるが、二孝子(こうし)とは何を意味するのだろうか。

「忠臣を孝子の門に求む」という言葉がある。

『三省堂 大辞林

忠臣を孝子(こうし)の門に求む
〔後漢書(韋彪伝)「求二忠臣一必於二孝子之門一」による〕

親に孝養を尽くしている者は必ず君主にも忠であるから、忠臣を求めるならば孝子の家に求めるのがよい。』
(「忠臣を孝子の門に求むとは?」(Weblio 辞書)より)
http://www.weblio.jp/content/

親孝行の子供のことを孝子というのであった。
高杉晋作と伊藤博文が共に孝子だった、あるいは孝子になるように幼児教育を受けたという意味に取れる。

奇しくもこれまで城下町を散歩して私が考えた推理も、晋作は師の松陰の決起命令に従わない「コンサバ(保守的)な親孝行息子」であったというものである。

この神社に祈願されている二人の孝子とは、一体どういう親孝行者だったのだろうか。
別の記事から抜粋する。

『十代萩藩主毛利斉熙のころ、萩城下郊外の椿東分に長七という六尺(かごかき人足)が住んでおり、その子供に権蔵・利吉という兄弟がいた。

文化十二年(一八一五)、母は末の妹を生んでから病床に臥すようになった。
そこで兄弟二人は、新堀の金毘羅社(現在の円政寺境内)まで三十町(約三、三キロメートル)道程を、病気平癒の祈願のため毎日通うことになった。

しかし、その満願の日(十二月十一日)二人は折からの風雪をついて参拝したが、帰途松本川の川岸で倒れてしまった。

翌文化十三年(一八一六)、明倫館学頭山県太華は藩主斉熙の命を受け、「紀二孝子事」(右側の石碑)という文をつくって、香川津の医徳寺境内に孝子の石碑を建立した。

大正十三年(一九一四)、椿東青年会は二孝子の百年忌を営むに際して、この石碑が辺ぴなところにあり人目に触れないので、これを新川の県道北側に移建して、その傍らに「移孝子碑記」(中央の石碑)を建立した。

昭和十三年(一九三八)、二孝子が絶命した場所の松本川東岸に、「香川津二孝子絶命之処」(左側の石碑)という石碑が建立された。

その後、昭和三十九年(一九六四)には、県道が付け替えられたために再び人目につかなくなった「紀二孝子事」碑と「移孝子碑記」碑の二つは、「香川津二孝子絶命之処」碑の北側に並べて移建され、現在に至っている。』(「香川津二孝子絶命の地」より)
http://blog.goo.ne.jp/hayate0723/e/76b301a6f91d1f1b087ef8d784d14d2e

素直に読めば、香川津(かがわつ)という海に近い港地区(津)で死んだ2人の孝子(こうし)となろう。

母親思いの駕籠かき人足の子供で権蔵・利吉という兄弟を二孝子という。

この金毘羅社(現在の円政寺境内)へ母の病気平癒の祈願のために毎日通う日々を送ったが、最後の満願の日があいにくの大雪。
その中で二人とも行き倒れして亡くなったという。

現地案内板には、『当時、この寺の恵運住職と伊藤博文公の母親(林琴子)が従兄妹に当り伊藤博文(幼名:林利輔)はこの寺に一年半預けられた。』と書いてある。

伊藤博文は親戚の差配でこの寺へ預けられている。
晋作は誰の思惑で預けられたのか、それは現時点ではまだわからない。

伊藤も高杉も「孝子」となるべくこの金比羅社で教育を授けられてきたはずだ。

「孝子」になれば、それは中国の教えによれば同時に忠臣になるはずだからだ。

誰に対して忠臣であれというのだろうか。

常識で言えば「萩藩主毛利氏」に対して忠義を尽くせとなろう。
その毛利氏は、関が原敗戦以降、家康によって幕府の徳川将軍家に忠義を尽くすことを長い間求められて来た。

しかし、吉田松陰によれば、幕府は倒し、一天子(=天皇一人)に対する忠義の完成となる。

佐久間象山などから米国事情や欧米の政治制度を学ぶ過程で、松陰は大統領制度に関心を向けているようだ。

一国民が国を治める大統領になれる日本を松陰が夢見始めていたとすれば、松陰が尽くすべき忠義は国民一人一人に対してとなろう。

そのときには、松陰の聾唖の実弟敏三郎も、ほかの日本人と同じように権利と義務を負う平等な社会が到来するはずだった。

「一天子(=天皇一人)に対する忠義の完成」を忠臣に求める勢力から見れば、大統領制度に目覚めた革命家松陰像は、きわめて危険な人物へと変化していったことであろう。

隣家にシュロの木~長州(68) [萩の吉田松陰]

SH3B0252.jpgSH3B0252晋作の庭の樹木
SH3B0253.jpgSH3B0253東行先生誕生地の碑
SH3B0254.jpgSH3B0254松はあるがシュロや楓はない
SH3B0255.jpgSH3B0255隣家にはシュロの木があった

高杉晋作宅の庭を見回している。
立派な樹木がある。

松の木もあるが、楓やシュロは見当たらない。
私は晋作の家でも松陰生誕地と同じようにシュロの木を見出すだろうと期待していた。

このうちは、玄関の石柱にも書いてあったように「高杉春樹旧宅」であって、晋作自身の自宅ではない。
だからシュロの木や楓の木を植えるという信仰上の行為をし辛かったのではないだろうか。
「高杉春樹」とは晋作の父、家禄二百石の萩藩士高杉小忠太の号である。

晋作永眠地である東行庵は、晋作の遺言に基づいて楓の葉に囲まれた紅葉谷の傍にある。

漆喰塀の向こうには背の高いシュロの木が見えた。
晋作を松本村の塾へいかせたのは、ひょっとしたらシュロの木がある隣家の人の発案かも知れない。


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