マリア観音像~長州(48) [萩の吉田松陰]

SSH3B0161.jpgH3B0161苔むした上に草が生えた灯篭
SH3B0162.jpgSH3B0162宝篋印塔(ほうきょういんとう)
SH3B0167.jpgSH3B0167手を三角形に交叉した石像
SH3B0165.jpgSH3B0165子供を抱いた地蔵
SH3B0166.jpgSH3B0166マリア観音

五輪塔によく似た石塔の中に石像が2体納まっている。

先ほど三位一体でも2体がセットになっていた。
ただここの墓標では三位一体を示す像はなく、普通の地蔵様に似たものが1体と、三角形の腕の形を持つ像が一体である。

後者の三角形の腕の石像は、先ほどの三位一体像の隣にあったものによく似ている。

五輪塔によく似た石塔は宝篋印塔というものだった。

『宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種である。五輪塔とともに、石造の遺品が多い。

起源
中国の呉越王銭弘俶(せんこうしゅく)が延命を願って、諸国に立てた8万4千塔の形をまねて簡略化したものだとされている。

これは、インドのアショーカ王が釈迦の入滅後立てられた8本の塔のうち7本から仏舎利を取り出して、新たに8万4千塔に分納したという故事に習ったものだという。
日本には鎌倉中期以後に造立が盛んになった。

名称は、宝篋印陀羅尼(宝篋印心咒経/ほうきょういんしんじゅきょう)を納めたことによる。

ただし、他のものを納めていても同形のものは、すべて宝篋印塔と呼ぶ。
本来的には、基礎に宝篋印心咒経の文字を刻む。

五輪塔と同じく密教系の塔で、鎌倉期以降宗派を問わず造立されるようになった。』
(宝篋印塔(Wikipedia)より)

宝篋印塔の右となりにマリア観音らしきものがあった。

コケで汚れている案内板の文を抜粋する。

『隠れ切支丹の墓標
<長久寺>
この長久寺は鉄心寺から移された石像がいくつかある。
その一つである宝篋印塔には手を交叉した石像があり、この塔に並んで子供を抱いた地蔵と観音石像がある。

この観音の姿はさながらマリア観音を髣髴させる。
さらに構内の奥まったところに地蔵があり手にした錫杖(しゃくじょう)には十字が刻まれている。萩市教育委員会』(抜粋終わり)

子供を抱いた地蔵と同じく子供を抱いたマリア観音を見間違いそうになるが、よく見れば大船観音のごとく外衣を頭にまとった方がマリア観音であることに気づく。

シュロの枝のお出迎え~長州(47) [萩の吉田松陰]

SH3B0157.jpgSH3B0157長久寺
SH3B0158.jpgSH3B0158臨済宗だ
SH3B0159.jpgSH3B0159境内にシュロの木が見える
SH3B0160.jpgSH3B0160境内からシュロを見返す

やはりここが長久寺だった。
臨済宗である。

東京・新宿区にある山鹿素行の墓は曹洞宗宗参寺にあり、シュロの木が墓の傍に3本あった。
山鹿素行を育てた祖心尼(お奈)は、同じく新宿区の清松寺に住み、葬られているが、そこは臨済宗だった。
門扉が閉ざされていて境内には入れなかったが、門扉の内側に無数のシュロの若木があった。

そう思いながら、長久寺の門をくぐり階段を上っていると、左手奥の境内に背の高いシュロの木が見えた。
塀を乗り越えて、参詣する私に挨拶をしているように感じられた。

「よくここがわかったねえ」と。

境内に上がってから、私はなぜかシュロの木の前に立った。

先ほどのシュロを背後から見返す格好になった。

シュロは道行く人々へ向けてサインを送っているように見える。

「お目当ての祈りの場所はここだよ。」と言っているように見える。


橋を渡って右~長州(46) [萩の吉田松陰]

SH3B0149.jpgSH3B0149隠れ切支丹の墓標「マリア観音像」500m長久寺
SH3B0150.jpgSH3B0150道に迷う
SH3B0156.jpgSH3B0156雲が出て日が翳る
SH3B0155.jpgSH3B0155正面の山すそに見える大きな屋敷

案内板には「隠れ切支丹の墓標「マリア観音像」500m長久寺」と書かれている。
ここから脇道へ入り500m先の長久寺に行けば会えるということだ。

しかし、同じような小道の農道が途中で分かれているので、どちらへ曲がればいいかわからない。

地元に人には寺がどこにあるか自明なのだろうが、東京から昨日やってきた私には道の分岐で出会うたびに迷ってしまう。

雲が出て日が翳ると、山の里の景色は急に夕方のような寂しさを演出する。
心細くさせてくれるのだ。

今回は街道歩きではなく、車中泊の用意をしてきているので、どこで日が暮れようとも心配はない。
それでも日が翳った里の田園風景は、心理的にあせりを生じさせてくれる。

しばらく行きつ戻りつを繰り返していたが、堪らず農家のおじさんに聞いてみた。
長久寺なら橋を渡って右だよと教えてくれた。

小さな石の橋があり、そこを渡って右へ道なりに車を進めると、正面の山すその高台に大きな屋敷が見えてきた。

あれが目指す寺のようだ。

白百合~長州(45) [萩の吉田松陰]

SH3B0146.jpgSH3B0146帰り道
SH3B0147.jpgSH3B0147小川の白百合
SH3B0148.jpgSH3B0148川の向こう側

帰り道も同じ民家の庭を通って通りへと出る。
小川に沿って数本の白百合が咲いていて、とても美しい

住宅街から一般道路に合流する地点に車を駐車させていた。
そこには川がゆったりと流れ、川の向こう側にキリシタン記念地(至福の里)があるという。

車でそちらへ移動しようとしたが、道に迷ってしまった。
仕方なく次のマリア観音へ向かう。

マリア観音はさらに北東へ数百メートルほど進んだところに案内看板があった。

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