至福の里の竹林~長州(44) [萩の吉田松陰]
SH3B0145山側から三位一体像を見る
SH3B0141シュロの奥に竹林
SH3B0142教会の祭壇にも似た竹の群生
SH3B0143たくさんのシュロの苗木
SH3B0144祈りの石?
ここはしぶき村(紫福村)と呼ぶそうだが、手元にあるパンフレットに至福の里と書いている。
それはこの切支丹墓標と川を挟んで向かい側(西側)にあるキリシタン記念地の別の名である。
やはりキリシタンがは至福を求めてこの地へ逃れ、隠れ信仰を続けるために地名もしぶき村と替え読みしたのであろう。
三位一体像から数歩山側に入って、振り返って像を見ると、その向かいにシュロの木が幾本も生えているのが目立ってくる。
シュロの枝はこの三位一体像を祝っているのだろうか、それとも像とシュロの間の小道を縫って山へ近づいた場所にある「何か」を祝っているのだろうか。
モーセは紀元前13世紀にユダヤ人たちにシュロの枝(西洋ではナツメヤシの枝)で神を祝えと言った。
旧約聖書の翻訳において、ザビエルが依頼した薩摩のヤジロウがシュロと和訳したようだから、それ以降の習慣だとすればザビエル来日後の習慣となる。
しかし、日本に渡来したユダヤ人が先祖伝来の信仰を日本国で続けてきたとすれば、武蔵一之宮建立の紀元前5世紀以前にも、日本で神を祝う場にシュロが植えられていたことになる。
そういう風習が日本国にあることを踏まえて、やじろうは神を祝うための枝と聞き古くから日本で使われていた棕櫚をナツメヤシの和訳に当てたのかも知れない。
禅宗の僧侶はザビエルの全能の神についての説明を聞くと、ゴッドは我らの大日如来そのものであると言った。
やじろうも神を「大日如来」と和訳していたのだった。
これにはザビエルが慌てたようである。
さっそく日本語の聖書では、神を原語の「デウス」(ダイウス)と音(おん)で表記するように改めた。
シュロの奥の山に近づいてみる。
シュロの奥には竹林が見えてきた。
竹林の中央前に立つと、教会の祭壇にも似た竹の群生が視界に広がってくる。
なんだか神聖な気分になってくるから不思議である。
竹林の斜面に信仰の対象となるものがあるのではないかと探してみた。
竹林の裾野にはシュロの苗木というか若い木がたくさん生えている。
これはこの場所に大昔大きなシュロの木が生えていて種がまかれたことを示しているのだろう。
親のシュロは何らかの理由でこの場所から消えてしまったが、その子孫たちが日光を浴びてスクスクと芽を伸ばしている。
完全に存在の痕跡を抹消できないことが植物の素晴らしさでもある。
キリシタン信仰も結局根絶できなかった。
竹と雑草以外に何もない竹林であったが、ひとつだけ石の上に立っている石を見つけた。
祈りの対象である石像であると見えなくもないが、自然石そのままのようにも見える。
ただ、苔むした石の上に石が立つという不自然さがあり、人為的に信仰目的でここに置かれたものだろうと想像できる。
或いはキリシタンではなく、土着の古代信仰の足跡かも知れない。
左右に扇形に広がる孟宗竹の景色は、なんとなく神や仏との出会いを思わせてくれるようだ。
SH3B0141シュロの奥に竹林
SH3B0142教会の祭壇にも似た竹の群生
SH3B0143たくさんのシュロの苗木
SH3B0144祈りの石?
ここはしぶき村(紫福村)と呼ぶそうだが、手元にあるパンフレットに至福の里と書いている。
それはこの切支丹墓標と川を挟んで向かい側(西側)にあるキリシタン記念地の別の名である。
やはりキリシタンがは至福を求めてこの地へ逃れ、隠れ信仰を続けるために地名もしぶき村と替え読みしたのであろう。
三位一体像から数歩山側に入って、振り返って像を見ると、その向かいにシュロの木が幾本も生えているのが目立ってくる。
シュロの枝はこの三位一体像を祝っているのだろうか、それとも像とシュロの間の小道を縫って山へ近づいた場所にある「何か」を祝っているのだろうか。
モーセは紀元前13世紀にユダヤ人たちにシュロの枝(西洋ではナツメヤシの枝)で神を祝えと言った。
旧約聖書の翻訳において、ザビエルが依頼した薩摩のヤジロウがシュロと和訳したようだから、それ以降の習慣だとすればザビエル来日後の習慣となる。
しかし、日本に渡来したユダヤ人が先祖伝来の信仰を日本国で続けてきたとすれば、武蔵一之宮建立の紀元前5世紀以前にも、日本で神を祝う場にシュロが植えられていたことになる。
そういう風習が日本国にあることを踏まえて、やじろうは神を祝うための枝と聞き古くから日本で使われていた棕櫚をナツメヤシの和訳に当てたのかも知れない。
禅宗の僧侶はザビエルの全能の神についての説明を聞くと、ゴッドは我らの大日如来そのものであると言った。
やじろうも神を「大日如来」と和訳していたのだった。
これにはザビエルが慌てたようである。
さっそく日本語の聖書では、神を原語の「デウス」(ダイウス)と音(おん)で表記するように改めた。
シュロの奥の山に近づいてみる。
シュロの奥には竹林が見えてきた。
竹林の中央前に立つと、教会の祭壇にも似た竹の群生が視界に広がってくる。
なんだか神聖な気分になってくるから不思議である。
竹林の斜面に信仰の対象となるものがあるのではないかと探してみた。
竹林の裾野にはシュロの苗木というか若い木がたくさん生えている。
これはこの場所に大昔大きなシュロの木が生えていて種がまかれたことを示しているのだろう。
親のシュロは何らかの理由でこの場所から消えてしまったが、その子孫たちが日光を浴びてスクスクと芽を伸ばしている。
完全に存在の痕跡を抹消できないことが植物の素晴らしさでもある。
キリシタン信仰も結局根絶できなかった。
竹と雑草以外に何もない竹林であったが、ひとつだけ石の上に立っている石を見つけた。
祈りの対象である石像であると見えなくもないが、自然石そのままのようにも見える。
ただ、苔むした石の上に石が立つという不自然さがあり、人為的に信仰目的でここに置かれたものだろうと想像できる。
或いはキリシタンではなく、土着の古代信仰の足跡かも知れない。
左右に扇形に広がる孟宗竹の景色は、なんとなく神や仏との出会いを思わせてくれるようだ。