アザマロの村~奥州街道(4-144) [奥州街道日記]

TS393198.jpgTS393198まっすぐな旧道
TS393199.jpgTS393199街道筋のシュロ
TS393200.jpgTS393200ひょうたんの実

アザマロの住んでいたコレハル村を歩いている。
まっすぐな街道を見ると、昔から統治が行き届いていた地域のようだ。

街道筋の家の庭にシュロの木がある。
アザマロがシュロの木をあがめていたかどうかはわからない。

もしアザマロの時代から生えていたとすれば、アザマロが紀元前に渡来したユダヤ人の末裔である可能性があるだろう。

おそらく稲荷信仰を持つ大和族の渡来人が蝦夷を征伐しつつ植えて北上していったものだと思われる。

私としては、むしろアザマロに関する記録にシュロの木を表現したものが見つかることを暗に期待している。
アザマロの墓などが発見されたときに、墓の中にシュロの葉や皮が見つかればなお面白い。

私は、紀元前473年創建の武蔵一ノ宮(埼玉の大宮氷川神社)は渡来ユダヤ人の水工土木技術によってなったものだと推理している。
その連中は朝鮮半島から埼玉までやってきているのだ。

エルサレムから北九州までやってきた人々である。

武蔵一ノ宮を建立してから、東北地方までやってきていてもおかしくはない。

東北地方には北九州から伝わったと見られる古代製鉄所跡が散在していることがそれを暗示している。
製鉄技術は中近東の騎馬民族スキタイ人の発明になるものである。

騎馬で移動すれば、北海道まで渡っていたとしても不思議ではない。
アイヌですら、日本列島の原住民ではなかった可能性がある。

青森の三内丸山遺跡のような高い文化が忽然と日本列島の東北端に出現することも不思議である。
海外から持ち込まれたと考えるほうが自然であろう。

四つ角に大きなひょうたんの実がぶら下がっていた。

今私は蝦夷のリーダー「アザマロ」の住処(すみか)の周辺を歩いている。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。