私とオウム [つれづれ日記]

東大准教授の伊東乾(けん)さんの文章が好きなので、正月から彼の著書「さよならサイレントネイビー」を読んでいます。

昨夜までに下記抜粋の段まで読みました。あと1/3残っています。
昨夜読んだ最後の下りが印象的でしたので、最下段に掲載します。

わたし自身が「オウムを生み出す側にいた」し、「今もいる」ことに気付くことができました。
この本を読まなければ、そういう認識には生涯なれなかったと思います。

数ヶ月前に旧知の友人から頂いたメール文の中にこの書籍名がありましたので、昨年暮に買ったものでした。
まさかこれを読んで、「私自身の課題」が見えてくるとは思ってもいませんでした。

企業内のさまざまな問題もT大物理学科の問題と基本原理は同じであり、極めて日本人的かつ民族特有の問題に帰結されると思いました。

朝鮮半島にはそれにやや似ている問題が民族の類似性からあろうかとも想像しますが、それ以外の国にはない「日本人固有」の条件下の問題だと思いました。

この書籍名は日経bpの伊東先生の記事を愛読していましたので、以前から知っていました。しかし書籍の内容は全く知りませんでした。

先の友人との懇談の際に、友人の身内が類似の被害にあったことがあると聞いたのが私の身近な体験となり、この本の購買動機が高まったのでした。

私が本を読み始めたのは、尊敬する友人のことを少しでも理解しようとの不遜な動機でしたが、読んでみると予想に反して「私自身の問題の根源」を理解するために大変役立っています。

通勤電車内で座って読んでいますと、あっというまに目的駅についてしまいます。
それだけ本の内容に私が夢中になっているということです。

途中までの読書感想ではありますが、中間報告としてブログに書きました。

[p224の最後の文章を抜粋]

『「われわれが内なるオウム」。
それに恐れることなく向き合うこと。
かつてではなく今、そして未来のために、知らずして病んでいるかも知れない「私自身」の治癒のために何が必要なのか。』(「さよならサイレントネイビー」より)

神田明神様 [つれづれ日記]


7796(門前の天野屋)

7797(旧中仙道)

新年明けましておめでとうございます。
会社帰りに恒例の神田明神様におまいりしてきました。

挨拶周りのあとで午後4時ころについたのですが、例年より人が少なく感じました。
例年の半分か1/3程度に感じます。

ひとつは出店の活気がないことです。
買い物をせずにお参りだけして客が帰っていくからでしょう。
また、参拝するのに並んでいつも順番を待つのですが、今日は10列程度ならべばお参りできました。
いつもは門前まで50列くらいは並んでいたと記憶しております。

商売繁盛の神様なので、不況には強いのではないかと思いますが、さすがの神様も100年に一度の金融不況にはお手上げなのではないでしょうか。

参拝のあと、いつものように鳥居そばの天野屋で温かい甘酒(350円)を立ち飲みしました。
どうやら口が味を記憶していて、神田明神に来ると口が落ち着かなくなるのです。
甘酒を飲みながら、江戸時代から残っている天野屋の玄関先の風情を眺めていますと、
最近の立て札のようですが「旧中仙道」という文字が目に入ってきました。

ここ神田明神様の鳥居のそばを中仙道が通っていたのか!

私が3年前に旧中山道を京都三条大橋から江戸日本橋までつなぎで歩いたとき、本郷の東大赤門を過ぎてから以降は旧道の場所がわからなくなったことを思い出しました。

一応案内地図は持っていたのですが、田舎の旧道と本道の区別ならわかりやすいのですが、都内へ入ると道路が錯綜しており、旧道がバラバラに切られているようで迷ってしまったのでした。

結局、広い通りを歩いて三越前をとおり日本橋へと帰ってきました。

懐かしさもあり旧中仙道の様子を写真に取りましたが、今ではただの裏道に過ぎない風景になってしまっています。

江戸以前の日本人の主要交通手段ですので、都内の旧五街道跡はきちんと整備して後世に伝えて行きたいものだと思いました。

以前はこの旧中仙道の看板に気づきませんでした。
自分が歩いたから、印象に強く残ったのか、あるいは最近天野屋の主人が旧道の大切さを思って看板を立てたのか、定かではありません。

紙コップの甘酒を飲み干すと、これも例年通りですが、指に甘酒の汁が付着してネバネバしてきました。

私には、この一連の動作により「江戸の正月が来た」という気持ちになれるのです。

今年もよろしくお願いいたします。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。