樟脳赤油から得られる猛毒~長州(122) [萩の吉田松陰]
SH3B0482会津から萩へやってきた「楷(かい)の木」(萩・松陰神社境内)
「現存する楷(かい)の大木は大正4年(1915)林学博士であった白沢保美(しらさわ ほみ)氏が中国曲阜から種子を持ち帰ったもの」である。
この林学博士は、欧州仕込みの樹木学者である。
東京のプラタナス並木は、この人による都市緑化事業の成果でもある。
白沢の地元の記事「安曇野ゆかりの先人たち」には、
http://www.city.azumino.nagano.jp/yukari/person/130/
「白沢 保美(しらさわ ほみ)」と出ているが、Wikipediaは名を「やすみ」と読んでいる。
『白沢 保美(しらさわ やすみ、1868年(慶応4年)4月~1947年12月20日)は、日本の樹木学者。東京市の初期、都市緑化事業の指導にあたる。
人物
1868年(慶応4年)、信濃国安曇郡明盛村(現・長野県安曇野市)の医師の家に生まれる。
1894年(明治27年)東京帝国大学農科大学林学科を卒業、大学院で研究のかたわら農商務省山林局に勤務、1900年(明治33年)より欧州に2年留学、1903年(明治36年)林学博士。
1908年(明治41年)山林局林業試験場長に就任、1932年(昭和7年)退職するまで20数年の長期にわたってその職についた。
都市緑化について強い関心を持ち、1904年(明治37年)優秀樹木として、プラタナス、ユリノキの種を大量に公園樹木として供給した。
また、1907年(明治40年)東京市の委嘱により福羽逸人と協力し、街路樹は種苗より整然と育成すべきことを説いた東京市行道樹改良案を提出、東京の街路樹事業の大綱が樹立させた。
東京市はこれによりプラタナス、イチョウ等の栽培をはじめたほか、1910年(明治43年)から新規格による街路樹の植栽に着手し、以来年々これが育成に努力した結果戦前に10万余本の街路樹の整備を見た。
こうして、多数の優良海外樹種が公園や道路、学校園等の公共地に配布栽培が出来ている。』(白沢保美(Wikipedia)より)
1901年(明治34)、白沢は33歳のときにドイツ・フランス・スイス等に留学し、森林樹木学・造林学の研究に没頭しているが、他の分野にも精魂を傾けた可能性もあり得る。
つまり西洋の宗教哲学なども、である。
帰国後2年の明治36年、彼の林学博士論文は「樟木に関する樟脳油」であり、白沢は林業専門家だった。
樟木(くすのき)は、南朝の楠正成を連想させてくれる。
松陰神社境内奥の「楷(かい)の木」説明板は、この人物が中国から持ち帰った種子が楷(かい)の大木」となり、岡山県にある日本最古の庶民学校、国宝の「 閑谷(しずや)学校」にあると書いていた。
萩を代表する庶民学校は松下村塾であり、松陰と閑谷(しずや)学校とはその点でつながる。
会津と松陰と、岡山藩の庶民学校とを結ぶ「楷(かい)の木」なのである。
そして、それは毒をもつ。
『ウルシオール
ウルシやハゼまけの原因物質。
ロテノン(rotenone)
南洋・熱帯地方のマメ科植物のデリス根部に含まれる毒の主成分がロテノン。
魚毒性を利用して毒流し漁法で魚を捕っていたという(現在は使用禁止)。
日本では戦前殺虫剤として使われていた。呼吸鎖複合体Iの阻害剤。
ピレトリン
除虫菊に含まれる殺虫成分。
サフロール(safrol)
クスノキ科の植物Sassafras albidum Neesの根に含まれるサッサフラス油の主成分。
肝腫瘍を発生。
ロテノン(デリス) ピレトリン(除虫菊) サフロール(サッサフラス油)
以下略』
(「動物の毒 植物の毒 微生物の毒」より)
http://www.sc.fukuoka-u.ac.jp/~bc1/Biochem/venoms.htm
この記事によると、白沢博士の専門研究対象であるクスノキ科植物からも毒物サフロールが作れるという。
致死量はどれほどなのだろうか。
『サフロール
safrole
別称1,3-benzodioxole,5-(2-propenyl)(CAS名)
特性
化学式 C10H10O2
モル質量 162.19
外観 無色~淡黄色の液体
匂い ササフラス香
密度 1.096
融点 11.2℃
沸点 232~234℃
水への溶解度 不溶
溶解度 プロピレングリコール・グリセリンに微溶
アルコール、油類に可溶
ジエチルエーテル、クロロホルムに混和
屈折率 (nD) 1.536~1.539
危険性
引火点 97℃
半数致死量 LD50 1.95g/kg(ラット経口)
5g/kg以上(ウサギ経皮)
関連する物質
関連物質 イソサフロール
特記なき場合、データは常温(25 ℃)・常圧(100 kPa)におけるものである。
サフロール(英: safrole)は、化学式C10H10O2で表わされる有機化合物の一種。天然にはササフラス油やオコチア油、樟脳赤油に存在する。
用途
ヘリオトロピンやピペロニルブトキサイドの原料としての用途が主であるが、かつては石鹸の香料としても使用された。
国際香料協会では、調合香料での使用は0.05%以下と制限を設けている。
アメリカ合衆国では、食品への使用を禁じている。
工業的にはブラジル産オコチア油や中国酸ササフラス油の分留により得られる。
安全性
日本の消防法では危険物第4類・第3石油類に分類される。
半数致死量(LD50)は、ラットへの経口投与で1.95g/kg、ウサギへの経皮投与で5g/kg以上。
ヒトへの急性症状としては吐き気やチアノーゼ、痙攣、感覚麻痺などの神経症状が報告されている。
動物実験では肝臓への発癌性が報告されている。
特定麻薬向精神薬原料に該当し、一定量を越える輸出入等には麻薬及び向精神薬取締法に基づく届出が義務付けられている。』
(サフロール(Wikipedia)より)
あいにく、「人の致死量」についての記載はなかった。
しかし、ウサギの皮膚にわずかに塗りこんでも哺乳類のウサギが死に至る毒である。
ウサギの平均体重を3kgとすると、ウサギへの経皮投与では3kg×5g/kg=15gを皮膚にすり込めば痙攣を起こしてウサギは死ぬ。
人間への影響も、これより十分に類推できよう。
いくら高貴な人物であっても、裸にされて全身に刷り込まれては身がもつまい。
アメリカ合衆国では、食品への使用を禁じているそうだが、ならば日本では禁じていないということなのか、それは私にはまだ不明である。
天然の樟脳赤油に存在するという。
なぜか、白沢博士の博士論文の内容に密接に関連してくるようだ。
猛毒性の一方で、「ウルシ科の楷の木」は松陰と儒教、とりわけ孔子との関係も示唆してくれている。
『中国生まれの楷の木
聖廟に登る19段の石段。
その左右の斜面に一対の楷の木がこんもりした枝葉を広げています。
いずれも幹回り1メートル余、高さ12.3メートルの巨木。
晩秋には聖廟に向かって左側の樹が深紅色に、右側は黄色がかった淡紅色に紅葉し、その景観は天下一品です。
楷の木は中国の山東、河北、河南各省に自生するウルシ科で、学名はピスタチア・シモンシス・ブンゲ(日本では、とねりばはぜのき)、黄蓮樹とも呼ばれます。
大正時代、白沢博士が持ち帰り、閑谷が一番大きく成長
閑谷の楷の木は大正4年、当時の農商務省林業試験場長だった白沢保美博士が、中国山東省曲阜にある孔子廟から持ち帰った種子を苗に育て、大正14年、閑谷学校、東京・聖堂、栃木・足利学校、佐賀・多久聖廟など孔子ゆかりの地に植えました。
風土が合ったせいか、閑谷学校の木が一番大樹に育ちました。
林野庁資料室に保存されている白沢博士の報告書によりますと、曲阜の楷の木は当時で幹の直1メートルという大樹で、孔子十哲の一人、子責が植えた樹の種子が育ったものだといわれています。
いずれにせよ、孔子の聖地、曲阜直系の珍木なのです。
孔子にちなんで「学問の木」
孔子にちなんで閑谷ではこの楷の木を「学問の木」と呼ぶようになり、紅葉した落ち葉を大事そうに持ち帰る受験生も増えています。』
(「「楷の木」豆知識」より)
http://www3.ocn.ne.jp/~bizenst/kainoki/setumei.htm
「曲阜(チュイフー)の孔廟(コンミャオ)」という旅行日記がある。
http://4travel.jp/sekaiisan/confucius/
曲阜(チュイフー)は日本語読みでは「キョクフ」と読まれるようだ。
また、「曲阜紀行聖蹟・江蘇省の教育概観」というサイトでは、
http://porta.ndl.go.jp/Result/R000000008/I000150633
「キョクフ キコウ セイセキ」と読ませている。
織田信長は支配権を確立したあと美濃国の城下町を岐阜(ギフ)と命名した。
「岐阜」の地名由来辞典によれば、中国の縁起のよい地名、「岐山」「岐陽」「岐阜」によるという説と、「周の文王が岐山より起こり、天下を定む」に由来するという説の二つがあるという。
信長の命名であれば後者であろう。
信長は、天皇さえも越えようとした、最初でおそらく最後の日本人である。
このサイトに「楷の木が完全に紅葉した様子」として、深紅(左)と橙色(右)に紅葉した二つの大きな樹木の写真が掲載されていた。
「聖廟に向かって左側の樹が深紅色に、右側は黄色がかった淡紅色に紅葉」と解説されているから、その写真は中国曲阜(チュイフー)の「楷の木」であろう。
日本最大の閑谷の「楷の木」の姿もこれに似ているはずだ。
なぜならば、同じ遺伝子なのである。
中国曲阜(チュイフー)の「楷の木」から白沢博士が持ち帰ったものが、現存する国内最大の閑谷の「楷の木」である。
この曲阜(チュイフー)の「楷の木」の写真を眺めていると、世田谷の松陰の墓の傍の楓の紅葉と同じ色であることに、ふと気づいた。
初めてそれを発見したと言っていい。
松陰と晋作の契りとは、私が推測していたような「カトリック的な楓の契り」ではなく、「楷の木の契り」つまり「孔子の教え」であったのではないだろうか。
晋作が世田谷に松陰の白骨化した遺骸を埋めるとき、「楷(かい)の木」の根元に埋めたいと思ったのだろうが、幕末当時の日本にはまだその種子はなかった。
だから晋作は楓の木を選んだのではないだろうか。
孔子の墓所と子弟と「楷(かい)の木」の話である。
『1.孔子にゆかりのある中国原産の珍木
今から2500年前、儒学の祖、孔子(紀元前552~479)は、多くの子弟に見守られながら世を去り、山東省曲阜の泗水のほとりに埋葬された。
門人たちは3年間の喪に服した後、墓所のまわりに中国全土から集めた美しい木々を植えました。
今も残る70万坪(200ha)の孔林です。
孔子十哲と称された弟子の中で最も師を尊敬してやまなかった子貢(しこう)は、さらに3年、小さな庵にとどまって塚をつくり、楷の木を植えてその地を離れました。
この楷の木が世代を超えて受け継がれ、育った大樹は「子貢手植えの楷」として今も孔子の墓所に、強く美しい姿をとどめています。
その墓所のまわりには、孔子を慕う弟子や魯の国の人々が集まりはじめ、やがて住み着いた者の家が百あまりであったので孔里と名づけられました。
孔子は300年後の漢代中期以後、国家的崇拝の対象となります。
しだいに墓域も拡大され、孔里は現在、孔林という広大な国家的遺跡になっています。
その後、「楷の木」は科挙(中国の隋の時代から清の時代までの官僚登用試験)の合格祈願木となり、歴代の文人が自宅に「楷の木」を植えたことから『学問の木』とも言われるようになりました。
合格祈願木とされたのは、科挙の合格者に楷で作った笏(こつ)を与えて名誉を称えたからだと考えられています。
また、その杖は「楷杖」として暴を戒めるために用いたとされます。』
(「「楷の木」の歴史」より)
http://www.cheng.es.osaka-u.ac.jp/alumni/kainoki.htm
晋作の家は、天神信仰が篤かった。
この萩散歩のブログでも写真を紹介したが、晋作の旧宅には、「高杉家伝来 鎮守堂 晋作遺愛品」として小さな祠があった。
それは菅原道真を祀るものだった。
中国の「楷の木」は科挙の合格祈願木であり、歴代の中国の文人が自宅に「楷の木」を植えたことから『学問の木』になったという。
菅原道真を連想させてくれる木でもある。
思いのほか、ここではウルシ由来の毒物の記述に紙面を割いてしまった。
肝心の「岡山藩とキリシタンの関係」は次の記事で述べることにする。
「現存する楷(かい)の大木は大正4年(1915)林学博士であった白沢保美(しらさわ ほみ)氏が中国曲阜から種子を持ち帰ったもの」である。
この林学博士は、欧州仕込みの樹木学者である。
東京のプラタナス並木は、この人による都市緑化事業の成果でもある。
白沢の地元の記事「安曇野ゆかりの先人たち」には、
http://www.city.azumino.nagano.jp/yukari/person/130/
「白沢 保美(しらさわ ほみ)」と出ているが、Wikipediaは名を「やすみ」と読んでいる。
『白沢 保美(しらさわ やすみ、1868年(慶応4年)4月~1947年12月20日)は、日本の樹木学者。東京市の初期、都市緑化事業の指導にあたる。
人物
1868年(慶応4年)、信濃国安曇郡明盛村(現・長野県安曇野市)の医師の家に生まれる。
1894年(明治27年)東京帝国大学農科大学林学科を卒業、大学院で研究のかたわら農商務省山林局に勤務、1900年(明治33年)より欧州に2年留学、1903年(明治36年)林学博士。
1908年(明治41年)山林局林業試験場長に就任、1932年(昭和7年)退職するまで20数年の長期にわたってその職についた。
都市緑化について強い関心を持ち、1904年(明治37年)優秀樹木として、プラタナス、ユリノキの種を大量に公園樹木として供給した。
また、1907年(明治40年)東京市の委嘱により福羽逸人と協力し、街路樹は種苗より整然と育成すべきことを説いた東京市行道樹改良案を提出、東京の街路樹事業の大綱が樹立させた。
東京市はこれによりプラタナス、イチョウ等の栽培をはじめたほか、1910年(明治43年)から新規格による街路樹の植栽に着手し、以来年々これが育成に努力した結果戦前に10万余本の街路樹の整備を見た。
こうして、多数の優良海外樹種が公園や道路、学校園等の公共地に配布栽培が出来ている。』(白沢保美(Wikipedia)より)
1901年(明治34)、白沢は33歳のときにドイツ・フランス・スイス等に留学し、森林樹木学・造林学の研究に没頭しているが、他の分野にも精魂を傾けた可能性もあり得る。
つまり西洋の宗教哲学なども、である。
帰国後2年の明治36年、彼の林学博士論文は「樟木に関する樟脳油」であり、白沢は林業専門家だった。
樟木(くすのき)は、南朝の楠正成を連想させてくれる。
松陰神社境内奥の「楷(かい)の木」説明板は、この人物が中国から持ち帰った種子が楷(かい)の大木」となり、岡山県にある日本最古の庶民学校、国宝の「 閑谷(しずや)学校」にあると書いていた。
萩を代表する庶民学校は松下村塾であり、松陰と閑谷(しずや)学校とはその点でつながる。
会津と松陰と、岡山藩の庶民学校とを結ぶ「楷(かい)の木」なのである。
そして、それは毒をもつ。
『ウルシオール
ウルシやハゼまけの原因物質。
ロテノン(rotenone)
南洋・熱帯地方のマメ科植物のデリス根部に含まれる毒の主成分がロテノン。
魚毒性を利用して毒流し漁法で魚を捕っていたという(現在は使用禁止)。
日本では戦前殺虫剤として使われていた。呼吸鎖複合体Iの阻害剤。
ピレトリン
除虫菊に含まれる殺虫成分。
サフロール(safrol)
クスノキ科の植物Sassafras albidum Neesの根に含まれるサッサフラス油の主成分。
肝腫瘍を発生。
ロテノン(デリス) ピレトリン(除虫菊) サフロール(サッサフラス油)
以下略』
(「動物の毒 植物の毒 微生物の毒」より)
http://www.sc.fukuoka-u.ac.jp/~bc1/Biochem/venoms.htm
この記事によると、白沢博士の専門研究対象であるクスノキ科植物からも毒物サフロールが作れるという。
致死量はどれほどなのだろうか。
『サフロール
safrole
別称1,3-benzodioxole,5-(2-propenyl)(CAS名)
特性
化学式 C10H10O2
モル質量 162.19
外観 無色~淡黄色の液体
匂い ササフラス香
密度 1.096
融点 11.2℃
沸点 232~234℃
水への溶解度 不溶
溶解度 プロピレングリコール・グリセリンに微溶
アルコール、油類に可溶
ジエチルエーテル、クロロホルムに混和
屈折率 (nD) 1.536~1.539
危険性
引火点 97℃
半数致死量 LD50 1.95g/kg(ラット経口)
5g/kg以上(ウサギ経皮)
関連する物質
関連物質 イソサフロール
特記なき場合、データは常温(25 ℃)・常圧(100 kPa)におけるものである。
サフロール(英: safrole)は、化学式C10H10O2で表わされる有機化合物の一種。天然にはササフラス油やオコチア油、樟脳赤油に存在する。
用途
ヘリオトロピンやピペロニルブトキサイドの原料としての用途が主であるが、かつては石鹸の香料としても使用された。
国際香料協会では、調合香料での使用は0.05%以下と制限を設けている。
アメリカ合衆国では、食品への使用を禁じている。
工業的にはブラジル産オコチア油や中国酸ササフラス油の分留により得られる。
安全性
日本の消防法では危険物第4類・第3石油類に分類される。
半数致死量(LD50)は、ラットへの経口投与で1.95g/kg、ウサギへの経皮投与で5g/kg以上。
ヒトへの急性症状としては吐き気やチアノーゼ、痙攣、感覚麻痺などの神経症状が報告されている。
動物実験では肝臓への発癌性が報告されている。
特定麻薬向精神薬原料に該当し、一定量を越える輸出入等には麻薬及び向精神薬取締法に基づく届出が義務付けられている。』
(サフロール(Wikipedia)より)
あいにく、「人の致死量」についての記載はなかった。
しかし、ウサギの皮膚にわずかに塗りこんでも哺乳類のウサギが死に至る毒である。
ウサギの平均体重を3kgとすると、ウサギへの経皮投与では3kg×5g/kg=15gを皮膚にすり込めば痙攣を起こしてウサギは死ぬ。
人間への影響も、これより十分に類推できよう。
いくら高貴な人物であっても、裸にされて全身に刷り込まれては身がもつまい。
アメリカ合衆国では、食品への使用を禁じているそうだが、ならば日本では禁じていないということなのか、それは私にはまだ不明である。
天然の樟脳赤油に存在するという。
なぜか、白沢博士の博士論文の内容に密接に関連してくるようだ。
猛毒性の一方で、「ウルシ科の楷の木」は松陰と儒教、とりわけ孔子との関係も示唆してくれている。
『中国生まれの楷の木
聖廟に登る19段の石段。
その左右の斜面に一対の楷の木がこんもりした枝葉を広げています。
いずれも幹回り1メートル余、高さ12.3メートルの巨木。
晩秋には聖廟に向かって左側の樹が深紅色に、右側は黄色がかった淡紅色に紅葉し、その景観は天下一品です。
楷の木は中国の山東、河北、河南各省に自生するウルシ科で、学名はピスタチア・シモンシス・ブンゲ(日本では、とねりばはぜのき)、黄蓮樹とも呼ばれます。
大正時代、白沢博士が持ち帰り、閑谷が一番大きく成長
閑谷の楷の木は大正4年、当時の農商務省林業試験場長だった白沢保美博士が、中国山東省曲阜にある孔子廟から持ち帰った種子を苗に育て、大正14年、閑谷学校、東京・聖堂、栃木・足利学校、佐賀・多久聖廟など孔子ゆかりの地に植えました。
風土が合ったせいか、閑谷学校の木が一番大樹に育ちました。
林野庁資料室に保存されている白沢博士の報告書によりますと、曲阜の楷の木は当時で幹の直1メートルという大樹で、孔子十哲の一人、子責が植えた樹の種子が育ったものだといわれています。
いずれにせよ、孔子の聖地、曲阜直系の珍木なのです。
孔子にちなんで「学問の木」
孔子にちなんで閑谷ではこの楷の木を「学問の木」と呼ぶようになり、紅葉した落ち葉を大事そうに持ち帰る受験生も増えています。』
(「「楷の木」豆知識」より)
http://www3.ocn.ne.jp/~bizenst/kainoki/setumei.htm
「曲阜(チュイフー)の孔廟(コンミャオ)」という旅行日記がある。
http://4travel.jp/sekaiisan/confucius/
曲阜(チュイフー)は日本語読みでは「キョクフ」と読まれるようだ。
また、「曲阜紀行聖蹟・江蘇省の教育概観」というサイトでは、
http://porta.ndl.go.jp/Result/R000000008/I000150633
「キョクフ キコウ セイセキ」と読ませている。
織田信長は支配権を確立したあと美濃国の城下町を岐阜(ギフ)と命名した。
「岐阜」の地名由来辞典によれば、中国の縁起のよい地名、「岐山」「岐陽」「岐阜」によるという説と、「周の文王が岐山より起こり、天下を定む」に由来するという説の二つがあるという。
信長の命名であれば後者であろう。
信長は、天皇さえも越えようとした、最初でおそらく最後の日本人である。
このサイトに「楷の木が完全に紅葉した様子」として、深紅(左)と橙色(右)に紅葉した二つの大きな樹木の写真が掲載されていた。
「聖廟に向かって左側の樹が深紅色に、右側は黄色がかった淡紅色に紅葉」と解説されているから、その写真は中国曲阜(チュイフー)の「楷の木」であろう。
日本最大の閑谷の「楷の木」の姿もこれに似ているはずだ。
なぜならば、同じ遺伝子なのである。
中国曲阜(チュイフー)の「楷の木」から白沢博士が持ち帰ったものが、現存する国内最大の閑谷の「楷の木」である。
この曲阜(チュイフー)の「楷の木」の写真を眺めていると、世田谷の松陰の墓の傍の楓の紅葉と同じ色であることに、ふと気づいた。
初めてそれを発見したと言っていい。
松陰と晋作の契りとは、私が推測していたような「カトリック的な楓の契り」ではなく、「楷の木の契り」つまり「孔子の教え」であったのではないだろうか。
晋作が世田谷に松陰の白骨化した遺骸を埋めるとき、「楷(かい)の木」の根元に埋めたいと思ったのだろうが、幕末当時の日本にはまだその種子はなかった。
だから晋作は楓の木を選んだのではないだろうか。
孔子の墓所と子弟と「楷(かい)の木」の話である。
『1.孔子にゆかりのある中国原産の珍木
今から2500年前、儒学の祖、孔子(紀元前552~479)は、多くの子弟に見守られながら世を去り、山東省曲阜の泗水のほとりに埋葬された。
門人たちは3年間の喪に服した後、墓所のまわりに中国全土から集めた美しい木々を植えました。
今も残る70万坪(200ha)の孔林です。
孔子十哲と称された弟子の中で最も師を尊敬してやまなかった子貢(しこう)は、さらに3年、小さな庵にとどまって塚をつくり、楷の木を植えてその地を離れました。
この楷の木が世代を超えて受け継がれ、育った大樹は「子貢手植えの楷」として今も孔子の墓所に、強く美しい姿をとどめています。
その墓所のまわりには、孔子を慕う弟子や魯の国の人々が集まりはじめ、やがて住み着いた者の家が百あまりであったので孔里と名づけられました。
孔子は300年後の漢代中期以後、国家的崇拝の対象となります。
しだいに墓域も拡大され、孔里は現在、孔林という広大な国家的遺跡になっています。
その後、「楷の木」は科挙(中国の隋の時代から清の時代までの官僚登用試験)の合格祈願木となり、歴代の文人が自宅に「楷の木」を植えたことから『学問の木』とも言われるようになりました。
合格祈願木とされたのは、科挙の合格者に楷で作った笏(こつ)を与えて名誉を称えたからだと考えられています。
また、その杖は「楷杖」として暴を戒めるために用いたとされます。』
(「「楷の木」の歴史」より)
http://www.cheng.es.osaka-u.ac.jp/alumni/kainoki.htm
晋作の家は、天神信仰が篤かった。
この萩散歩のブログでも写真を紹介したが、晋作の旧宅には、「高杉家伝来 鎮守堂 晋作遺愛品」として小さな祠があった。
それは菅原道真を祀るものだった。
中国の「楷の木」は科挙の合格祈願木であり、歴代の中国の文人が自宅に「楷の木」を植えたことから『学問の木』になったという。
菅原道真を連想させてくれる木でもある。
思いのほか、ここではウルシ由来の毒物の記述に紙面を割いてしまった。
肝心の「岡山藩とキリシタンの関係」は次の記事で述べることにする。
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2011-02-14 00:05
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