松本川~長州(106) [萩の吉田松陰]

SH3B0434.jpgSH3B0434翌日も快晴の菊が浜
SH3B0436.jpgSH3B0436松本川を渡る
hagisi80.jpg松陰生誕地地図(○A部)

翌日も菊が浜は快晴で家族連れの海水浴客で朝からにぎわっていた。

指月公園、萩城址のそばの菊が浜から車で東へ移動する。
地図の○A部は松陰生誕地の椎原地区である。
そのすぐ西側に松陰神社はある。

4km程度だから街道歩きの1日25kmの旅程からすれば軽く歩ける距離である。
ただ、真夏の朝の太陽を浴びて4kmの散歩は辛い。

野山獄はそのおよそ半分のところ、中間点にある。
そこへは歩いていったものの、帰りは市内循環バスを使った。

城下町から見ればずいぶんと神社は遠い。
松陰は江戸や東北各藩の名士を訪ねたとき自己紹介では「萩の東郊に生まれた。」と称していた。

松陰生誕地へ行ってみてわかったが、そこは城下町から見れば、「川向こうの山の中」であり、それより奥は山しかない、萩の僻地である。

隠れキリシタンはここを通過して阿武山中へと逃げ込んだ。

つまり松陰生誕地や松下村塾へ城方面から行こうとすると、松本川が行く手を阻む。

今は大きな橋がいくつも架かっているから往来は容易だが、江戸時代は松本川が文化生活の境界となって横たわっていただろう。

逃げてくるキリシタンも松本川を越えたところでほっと一息つけたのではないだろうか。
ちょうどその辺りに松陰神社はある。

松陰の実感杉家は元川原(町)に家を建てていたが、火災にあって松本村の山の中腹へと引っ越してきた。

いわゆる被災者として文無しからの再建をしたのである。

川原とは松本川の川原だろう。
すると、その場所も萩城下町からは川向こうか川そばに過ぎず、身分的に低かったことがわかる。

車は緩やかな坂を登って松本川を渡る。
まもなく松陰神社である。

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