眠れる獅子だった頃の藩校跡~長州(84) [萩の吉田松陰]

SH3B0334.jpgSH3B0334「めいりん舎 ハイツHASE」の看板
SH3B0335.jpgSH3B0335駐車場に3本のシュロの木
SH3B0336.jpgSH3B0336茫々たる草むら
SH3B0337.jpgSH3B0337「旧明倫館跡」の石柱

左手の路地に「めいりん舎 ハイツHASE」の看板が見える。
よってみよう。

駐車場に3本のシュロの木が見えた。
向かいは茫々たる草むらである。

草むらの中に「旧明倫館跡」と刻まれた石柱が埋もれていた。

『旧明倫館跡 堀内

ここは萩城三の丸の南、平安古ノ総門の北西100メートルの所にあった藩校の跡で、全敷地940坪の広さがあった。

享保4年(1719)五代藩主毛利吉元によって創建され嘉永二年(1849)城下の中央江向に移され再建されるまで130年にわたって防長二州における最高学府であった。

江戸時代200余りあった藩校のうち、12番目に出来、設備、教育内容共に全国有数のものであった。 萩 市』(抜粋終わり)

明倫館でも昔の建物があった敷地である。
江戸中期に萩市江向(市役所の近く)に移築されていたという。

旧明倫館の敷地は940坪であったが、移築後は敷地15,184坪、建物総坪数11,328
坪、練兵場3,020坪の広大な新明倫館となっている。

しかし、ここは訪れる人も少ない旧明倫館跡である。

ある意味で長州藩が徳川幕府に臣従していた時代の名残であり、革命政権を樹立した明治以降では、松下村塾の家屋を移築した松陰神社が観光メインとなり、主君徳川家に忠実だった頃の遺物は訪れる価値も低いということだろう。

幕府に恭順していた長州藩を、尊王攘夷へと傾けたのは三条実美と月性である。
それを更に過激な討幕にし向けたのも、やはり三条実美と月性である。

討幕の実行者として、吉田松陰に白羽の矢が立った。
それ以降、旧明倫館跡などはあまり価値のない場所となってしまった。

水戸徳川藩が尊王藩として尊皇攘夷思想を先導し、その藩校弘道館が今なお建造物を保存しつつ、多くの人々の観光のために供されていることと対比してみるとなかなか面白い。

徳川家の家系内でさえも、尊王方だった弘道館は生き残り今でも栄えている。
そして本家徳川方は廃れていったのである。

いつか、天皇家が武力を増して徳川幕府に襲い掛かるということを歴戦の武将である家康は予想していた。

いつかはわからないが、必ずそういうことが起きると予想していた。

そのために将軍補佐として徳川御三家を設けたが、水戸徳川だけは将軍職につけない仕掛けとした。

将軍になれない水戸藩は、尊王の道を進むことになる。
それは、関が原の戦いで真田家が両軍に分かれることで真田家の血統を残した知恵と同じことである。

将来、天皇家と幕府が戦うことになった場合、水戸徳川家は天皇方について血統を存続させるのだというメッセージを家康は残したのである。

家康でさえ、「幕府を見限る」ことを念頭において幕府を作ったのである。

松陰や久坂玄瑞が、龍馬に向かって、われらが革命を起こすためなら、土佐藩や長州藩自体が消えてなくなってもかまわないと言ったが、家康はそういう時代がいつか来ることを読んでいたのである。

一手先を読んでいたことになる。

水戸光圀が水戸藩財政を傾けるほどの費用を支出して、大日本史を編纂した理由は血統の存続にあった。

幕末から戊辰戦争にかけて、水戸藩の位置づけが大変わかりにくくなってくる。
佐幕か尊王かで世の中が二分しているときに、どちらの側にも水戸藩士が登場してくるのだ。

幕府の政治には、当然水戸徳川斉昭が口を出す。
一方で、大老井伊直弼の暗殺は水戸の浪士が主犯であった。

松陰や佐久間佐兵衛(赤川直次郎)は、水戸の会沢正志斎から水戸学を習い、過激な尊攘思想家として成長していき、最後は討幕を目標とする。

水戸藩の行動のわかりにくさは、徳川家の血統温存が目的であったと考えるとわかりやすい。

例え態度はどっちつかずであっても、最後は天皇に付くのが家康が遺言したかった水戸徳川家の役割なのである。

その家康の読みが崩れかけたときがあった。
決して将軍職に就かない徳川方の藩として作った水戸藩から、一橋に養子にやっていた慶喜が第15代将軍職についてしまったのである。

慶喜は、江戸・小石川の水戸藩邸にて第9代藩主・徳川斉昭と正室・吉子女王(よしこじょおう)の七男として生まれている。
吉子女王とは、有栖川宮織仁親王の第9皇女である。

将軍慶喜が西郷隆盛と大久保利通が工夫して創り上げた錦の御旗を見てびっくりすることも理解できる。
錦に向かって戦うことは、母の家系のその本家(天皇)に弓を引くということになるからだ。

現に将軍職についてしまった慶喜は、母吉子女王の実家の有栖川宮熾仁親王に追討されている。

これでは下手をすると、徳川家御三家がもろともに歴史舞台から消えてしまうことになりかねない。

草葉の陰で家康公も冷や冷やしながら歴史の転換を眺めていたことだろう。

なかなか親の思うとおりに、その子や子孫は動いてくれないものである。

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三毛猫

今住んでいる部落は、長州藩の武士達の末裔が住んでいるからか、学問に力を入れ、猫も杓子も大学へ行き、息子達は都会に出てしまい、年寄りばかりです。昨今は、ユダヤ資本による日本企業の株式保有、乗っ取り、日本のユダヤ傀儡政権によるユダヤへの国富流動、逆規制、非正規雇用、為替介入、特別会計等で大卒でも非正規雇用が多いです。二つのユダヤ特殊金融会社を持つ30歳定年のダイレックスや長時間勤務のドラ森等が目立つ様になりました。学校の教師や役場関係はコネ就職ですから、息子がいても地元に帰れないのです。地元の産業を育てる事をしないで、キャノンの工場を誘致しても非正規雇用ですし、結局大量解雇で広瀬、御手洗、大賀、鹿島が儲けただけ。
米軍ー安倍総理ー朝鮮ーサンデン交通ー林芳正ー広瀬知事。怪しい繋がり。
ユダヤに狙われてるJAバンクは、TPPお断りのスローガンを掲げてるけど、職員達が、知事選で広瀬に投票していたとしたらジョークです。
by 三毛猫 (2015-07-21 10:57) 

Lesuphome

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