至福~長州(37) [萩の吉田松陰]

SH3B0118.jpgSH3B0118松陰と金子重之助の銅像
SH3B0119.jpgSH3B0119二人の銅像の位置から萩市街を眺める

「コノハナ」の石碑のところから階段を上って、二人の銅像のところへ向かう。
二人の銅像は、松陰と金子重之助だった。

金子重之助はしゃがんだまま、立ち姿の松陰を見上げている。

ペリー2度目の来航嘉永7年(1854年)1月のある深夜、松陰は長州藩足軽・金子重之助とともに静岡県下田沖に停泊中のペリーの艦隊に伝馬船で漕ぎ着き、米国密航を申し入れたが失敗した。

江戸の獄から囚人として帰国し、萩の野山獄に幽囚された。
身分の異なる金子は、野山獄の道路向かいにある岩倉獄に入れられた。

待遇の悪さを心配した松陰は、金子も野山獄へ入れろと主張したが聞き入れられず、金子は岩倉獄で病没した。

『金子 重之輔(かねこ しげのすけ、天保2年2月13日(1831年3月26日~安政2年1月11日(1855年2月27日))は幕末の長州藩士である。名は貞吉。別称に卯之助、直三郎、重輔。渋木松太郎、市木公太という変名を用いた。

長門国阿武郡紫福村 商人・茂左衛門とつるの長男として生まれる。
幼時より白井小助、次いで土屋蕭海に学び嘉永6年(1853年)、家業を嫌って江戸に出て長州藩邸の雑役となる。

同年、熊本藩士・永島三平を伝にして吉田松陰と出会いその弟子となる。
嘉永7年(1854年)、アメリカ合衆国の東インド艦隊再来に際して松陰と共に渡米を計画して藩邸を脱走。

鳥山確斎の私塾に寄宿して、世界地誌を学びながら機会を窺った。
日米和親条約が締結されると松陰と共に下田へ赴いて米艦に乗り込もうとするがアメリカ側に拒否されたためにやむなく計画を中止、自首した。

その後、幕吏によって萩へ送還され安政2年(1855年)、士分以下の者が入る岩倉獄で病没した。』(金子重之輔(Wikipedia)より)

司馬遼太郎の小説などを読み、足軽の青年が松陰思想にほれ込み、渡海を決意したくらいにしか感じていなかった。

長門国阿武郡紫福村の商人のせがれが、幕末に『鳥山確斎の私塾に寄宿して、世界地誌を学びながら機会を窺った。』という姿勢に疑問を感じる。

商人のせがれだけでは、なしえない思考であろう。
誰かの手助けがあったはずだ。

出身地は紫福村であり、「音」の類似性から「至福村」を連想する。

以前私は訪問したことがあるから、その意味はわかっていたが、念のためにgoogleで「紫福村」を検索してみた。

自治体ホームページの次に2番目に次の記事が登場してきた。

やはり金子は隠れキリシタンだったようだ。

『隠れキリシタン墓標群
掲載日: 2007年04月01日 / 担当: 観光課

長久寺「マリア観音像」
北巌山と号する。
明治4年、永巌山鉄心寺と北山見性院と合併し、見性院の寺地へ鉄心寺の建物を移築し、北巌山長久寺となる。
境内の中には子供を抱いた地蔵と観音の石像がある。
この観音の姿はさながらマリア観音像を彷彿とさせる。
さらに境内の奥まったところに一体の地蔵があり、手にした錫杖には十字が見られる。

三位一体像
室町時代、大内氏滅亡のあと戦乱の場となった山口から多くのキリスト教信者が紫福村へ逃れてきたという。

さらに、江戸時代になると毛利の切支丹禁断政策により、信者はひっそりと、山里に隠れすんだといわれてます。

この路傍にある二基の苔むした墓碑の一基は三面一体となった像です。
合掌像や墓石の小窓の形に使われている三角形はキリスト教の奥義である三位一体をはのめかす何らかの象徴でしょう。

伴天連の墓
室町時代、大内氏滅亡のあと戦乱の場となった山口から多くのキリスト教信者が紫福村へ逃れてきたという。
さらに、江戸時代になると毛利の切支丹禁断政策により、信者はひっそりと、山里に隠れすんだといわれてます。
鉄心寺跡には、伴天連墓と呼ばれる六角形の石憧(石灯籠に似せて造った六角形の墓石)があり、宣教師の墓と言われています。

キリシタン祈念地
1549年フランシスコ・ザビエルがキリスト教を布教するため来日し、大内義隆(1507?1551)の頃山口で布教活動をし、多くの人たちが信徒となりました。そしてザビエルが日本から去り毛利氏の時代となってからは、切支丹禁制の政策がとられ、宣教師を追放する等、キリスト教にとって厳しい時代となり、大半の信徒たちは山口の仁保あたりからここ紫福の山中に移り住んだといわれています。【1560年頃】

以来信徒たちはこの地でキリスト教の教えを守り至福の時を待ちながら、ひっそりと生活してきました。

この間、至福がなまって紫福になったとか、紫福を至福と呼んだとか、或いは近くの鍋山を至福の丘と言っていたとありますが何れも伝説となっています。

やがて時は流れ信徒たちの墓標も風雪にさらされる状態となりました。
そこで、この山腹の墓地を整備し「キリシタン至福の里・中山地区祈念地」としたものであります。』
(「隠れキリシタン墓標群」より)
http://www.city.hagi.lg.jp/portal/bunrui/detail.html?lif_id=10353

『室町時代、大内氏滅亡のあと戦乱の場となった山口から多くのキリスト教信者が紫福村へ逃れてきたという。』に着目したい。

一般庶民のキリシタンはこの山奥へ隠棲し大内義隆の遺児や遺臣は松本村に居住したのであろう。

正確には川の近くに居住していたが、火災にあって松本村へ引っ越してきた。

ここ松本村は萩市街の東郊、田床山の山裾、団子岩と呼ばれる小高い丘にある吉田松陰誕生地の裏手である。

ここから萩市の北東にある笠山に向かうとき、途中の半島のくびれ辺りに萩越ヶ浜郵便局がある。すぐ傍には嫁泣港という変わった名の港がある。

その付近を萩市大字椿東というが、ホテルの観光案内によればそこにも「この花」の同じ句碑があるという。

『伊藤柏翠石碑(いとう はくすい)
更新 : 2010/11/15 15:21

萩市大字椿東にある伊藤柏翠石碑です。
高さ100センチメートル、幅140センチメートルの斑糲岩の石碑で表上部に句、

この花の 松陰を生み 志士を生む

が彫ってあります。

伊藤柏翠は本名を勇といい、明治44年(1911)東京浅草に生まれました。
昭和7年(1932)鎌倉にて病気治療中より句を作り始め、昭和11年(1936)高浜虚子に師事しました。
昭和56年(1981)から毎年萩に来て、萩花鳥句会を指導し、俳誌「花鳥」を主宰し発行しました。
句集「虹」「永平寺」「越前若狭」、随筆「花鳥禅」なども出版されました。

白木屋グランドホテルから車で45分の伊藤柏翠石碑を御覧に是非お越し下さいませ。』
(「白木屋グランドホテル ブログ一覧」より)
http://www.jalan.net/yad393948/blog/3.HTML

先の写真と瓜二つの石碑である。

この案内には、その石は斑糲岩だと書いている。
「はんれいがん」と読むことは既に紹介した。

高杉晋作の草庵の前にあった石碑がそれであった。

『萩に来て
 ふと おもへらく
      いまの世を
   救はむと起つ
      松陰は誰  』

(「吉井勇歌碑 椎原(吉田松陰誕生地)」より)   
http://www.city.hagi.lg.jp/hagihaku/hikidashi/takuhon/html/021.htm

『五足の靴』のひとつ、吉井勇の歌碑だった。

『五足の靴』とは明治40年(1907)み新詩社主幹の与謝野寛と木下杢太郎(本名太田正雄)、北原自秋、平野万里、吉井勇の5人が九州のキリシタン遺跡を巡った時の紀行文の題名だった。

彼らの旅の目的は天草の大江天主堂でフランス人のガルニエ神父に会うことだった。

斑糲岩は、イタリアの工芸家が呼んでいた石材名gabbroに由来することは既に述べたし、イタリアはローマカトリックの「メッカ」である。

Gabbroを岩石名としたのは1810年のフォン・ブッフであるが、明治初期にはかすり模様
から「飛白石・カスリイシ」の訳も行なわれたが、1884年〈明治17年〉に小藤文次郎が斑糲岩という難しい訳語を作った。

斑糲岩の名が歴史の表舞台に登場したのは明治17年であるが、ザビエルや織田信長の頃から石材として使われ、製品となって日本にも輸入されていたかも知れない。

あったとしても、墓石や灯篭の石など隠れキリシタンの信仰の道具だったであろう。

萩市大字椿東にある伊藤柏翠石碑が斑糲岩でできているなら、写真を見比べる限り瓜二つの句碑であるから、松陰生誕地の崖裏にあるこの句碑も斑糲岩となる。

「この花」はサクヤヒメの末裔ではあるが、ローマの斑糲岩に信仰を感じる人物だったようだ。

それは、言い換えると『皇室や公家の中の、江戸期であれば隠れキリシタン』である。

萩市大字椿東にある嫁泣港とは面白い命名である。

嫁が港で泣くのだから、異国から運ばれてきて泣く新妻なのか、日本から異国へ嫁に出すときに泣くのか、或いは最愛の夫が異国へ旅立つのを見送って泣くのか。

いずれもあった港なのだろう。

多々良氏すなわち百済の琳聖太子の後裔たちが最初に漂着した港はこういう日本海の荒波を沈める湾だったのだろう。

多々良氏は大内義隆の末裔であり、その遺児たちは萩で環家を名乗り、後玉木家を称したようだ。

松陰の墓のある椎原墓所の中で、一番大きく立派な墓は、「玉木家御祖之墓」だった。
その大きな墓を見て、正面右手が松陰生誕地で、左手に松陰の「松楓」の墓がある。

松陰は百済の琳聖太子の後裔だったのではないか。

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