神々の住んでいた「八幡」~奥州街道(4-201) [奥州街道日記]



ホテル「芭蕉」の看板を通過したころ、ポツポツと雨粒が散発的に落ちてきた。
東北新幹線の高架に沿って旧街道を歩く。
岩手県交通「八幡」バス停を通過する。
「はちまん」と読むのか「やはた」と読むのかわからない。
福島県福島市鎌田下釜」の先には「廣幡八幡神社」があったが、ここは「ひろはたやはた」と読むはずだ。
新日鉄の製鉄所の昔の拠点は、八幡系が北九州の「八幡(やはた)製鉄所」で、富士系が姫路市の「広畑製鉄所」であった。
『古来たたら製鉄が栄えた西播磨の地を仰ぎ、大洋へ、世界へと誘う瀬戸内播磨灘を望み、1939年以来、鉄をつくり続けてきた広畑製鉄所。』(新日鉄のホームページより抜粋)
この流れから行けばバス停は「やはた」と読むべきだが、八幡神社傍だとすれば「はちまん」と読むはずだ。
拙著ブログ「廣幡八幡神社~奥州街道(3-280)」には、神功皇后の傭兵として胡勒(トルコ系)武士を紹介した。
http://blogs.yahoo.co.jp/realhear2000/59266544.html
『「八幡は対馬から」という以下の記事に、「神功皇后に従った胡勒武装の神々」が登場している。
胡勒(ころく)とは、「胡(えびす)」は「外国人」で、「勒(ろく)」は既に述べたように馬具である。
胡がトルコ人であれば、ひょっとして馬は「鉄勒」を頭に嵌めていたのではないだろうか。
トルコ系騎馬民族を味方につけ、神功皇后が船団を率いて百済救出へ向かう様子が見えるようである。』
北九州から出発した船にトルコ系騎馬民族集団が乗っていたのである。
これは、神功皇后の時代にトルコ系騎馬民族が北九州付近に住んでいたことを物語っている。
『廣旗八幡神社境内に、古代から生き続けてきた若いシュロたちがいた。
神功皇后の三韓征伐に同行したという胡勒(ころく)の神々が文字通り胡(=外国)の勒(=くつわなどの皮製の馬具)を装備したトルコ系騎馬民族であったならば、ゾロアスター教かマニ教の信者であったはずだ。
奥羽へやってきた胡は製鉄技術を有していたから、胡勒(ころく)の神々が使用した馬具は鉄勒(てつろく)だったかも知れない。
中国では鉄勒(てつろく)とは「テュルク(トルコ)」の音(おん)への当て字で、トルコ系騎馬民族を指す。後の匈奴である。
いずれも後のユダヤ教と関連がある宗教である。
シュロで神を祝う習慣を持っていたのかも知れない。
現代の「わ」人の末裔たちは、なぜここにシュロの木が植えられているか知らないのだろう。
木が若いことが普段切り取られていることを物語っている。
いつの時代からか、モーセの教えを秘匿する必要がこの国で生じたのであろう。
枝を切られた一本の若いシュロの木に向けて、一筋の光が射していた。
これが「光を好む神が慶ぶ」というシーンなのだろうか。』
(拙著「神の光~奥州街道(3-282)」より抜粋)
http://blogs.yahoo.co.jp/realhear2000/59272533.html
2010-08-14 12:59
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