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入市被爆人体実験の疑い2例 [奥州街道日記]

8月9日は長崎の原爆慰霊祭だった。
広島の三菱重工が三日前に原爆(当時は新型爆弾と言った)にやられたのだから、軍部や財閥は長崎の三菱重工が次に狙われていることを予感していたはずだ。

長崎が被爆する前で、かつ広島被爆後に長崎から脱出した要人をリストアップしてみれば事前に危険を察知できていた人物が浮かびあがるだろう。

広島では原爆投下の前夜、急遽ある将校が広島から岩国へ移動している。
当然翌日彼は被爆を免れている。

その将校とは真珠湾攻撃における空襲部隊の総指揮官、淵田美津雄である。
日本の英雄中の英雄である。

日本の宣戦布告の通達遅延というお粗末な出来事により真珠湾攻撃は宣戦布告前に行われるはめに陥っていた。
これによりアメリカの世論は一斉に戦争突入で固まったのである。

その意味において、アメリカに戦勝をもたらした英雄の一人でもある。
宣戦布告の遅延はアメリカ情報部の作戦がちだった。
日本ははめられたのである。
その英雄は広島原爆の前日に広島を離れている。

『昭和20年(1945年)8月5日、会議で訪れていた広島を離れ、広島市への原子爆弾投下から間一髪で逃れた。
広島が核攻撃された翌日には海軍調査団として入市、残留放射能により二次被爆するが奇跡的に放射線障害の症状は出なかったという。
終戦時は海軍大佐。

敗戦後は第二復員省(元・海軍省)史実調査部、GHQ歴史科嘱託として戦中資料の整理研究を行った。
淵田の南雲忠一、山本五十六への評価は辛辣である。

昭和24年(1949年)、キリスト教に入信し,日本基督教団堺教会で受洗。

1953年12月に『真珠湾からゴルゴダへ、わたしはこうしてキリスト者になった』を出版し、「祖国日本の救われんためにわれら何をなすべきか? 汝、イエス・キリストを信ぜよ!」と訴える。

以降昭和41年(1966年)に引退するまで日米各地で伝道活動に従事した。
戦後8年目に米国に渡り、滞米10か月、旅程4マイル、200回の伝道講演。
アメリカでは「真珠湾攻撃の英雄」として迎えられることが多かったという。昭和42年(1967年)、郷里に隠棲。』

戦後にアメリカで「真珠湾攻撃の英雄」になった人物は広島から間一髪逃れている。
入市被爆はしていたようだ。

広島被爆から長崎被爆までの間に、長崎市を脱出した要人をリストアップしてもらいたいと思っている。

彼等の肩書を並べてみれば「何か」がわかるはずだ。
いずれもアメリカにとって大事な人物たちである可能性が高いだろう。

終戦前から陸軍情報部は、降伏後にアメリカに渡す目的で被爆直後の被爆者の診察データを整理し報告書を作成していたという。
昨日8月10日ののNHK総合の番組(長崎ヒバクシャに関するもの)をみてそれを知り、私は大変驚いた。
降伏受諾をする前のことである。
戦争中にすでに保身のためにヒバクシャの体を利用しているのである。

被爆者の苦痛ことなどまったく眼中にない人間の姿である。

番組で、 90歳代と思われる老いたの証言者(元将校)は、「石井731部隊のことなどもあったから」と述べていた。

石井731部隊のことは以前述べた。
中国大陸(満州国)で生きた中国人を大量に使って毒ガス殺人実験をした薬学研究部隊である。

彼等は戦争中なのに、降伏後にアメリカに渡すための原爆被害調査資料を作っていたのだ。
「石井731部隊のことなどもあったから」と言う証言はそのことを指している。
大量毒殺実験による銃殺刑は明らかであった。
それから逃げるためにアメリカが喜ぶ資料を戦争中にもかかわらずせっせと作っている。

中国では健康な中国人の体と命を利用した。
今度は苦しむ被爆者の体を使う。

重要なプレゼントがなければ石井731部隊の幹部は人道に反する行為により銃殺刑になることは確実である。

NHKのナレーターは「毒殺や被爆者データをアメリカに渡したのは国益に叶うから」と言ったが、冗談じゃあない、
正気の発言ではない。
現代でさえNHKが権威に阿(おもね)る姿勢を見せるのはいただけない。

アメリカはヒバクシャデータを入手して国益が潤ったのは事実だ。

しかし、なくなった中国人や広島・長崎のヒバクシャたちのためにはなんら役立てていない。
日本人もヒバクシャ調査データを何も利用できていない。

ただ石井731部隊の面々の命が救われ、戦後の薬剤製造ビジネスで彼らが資産を築けただけである。

アメリカは国益だが、日本は私的利益に貢献しただけである。
本来国益を論ずるならば、中国人毒殺データやヒバクシャ調査データは世界中の人々に公開し、利益は遺族や被害者に配布されるべきである。

特攻隊の若者たちに向けて熱く語った日本人将校たちの正義の言葉は、一体自分自身に向けては封印したのか。

人間がこうもいぎたなくなれるのか?

或はそれは日本人だけに備わる悪魔の性質なのか?

毒ガスデータは国際法違反だから、当然日本の財産にはできない。
ならば世界に公開すべきだった。

それでは戦争裁判の主導者アメリカの心証がよくならない。こっそりアメリカだけに無料で提供し、銃殺刑を免れている。しかも生き延びて厚生省や薬メーカーの重役に収まっている。いまは子供や孫たちが立派な家に住み、石井731部隊の利権を承継しているはずだ。

日本人の銃殺刑受刑者を救命し、私服を肥やすために資料は売られたのである。

「日米双方の国益に叶う」などという世迷言を公共放送を使って言うとは、世の中が少しおかしい方向に動きつつあるのではないか。

エイズ事件を起こし、それをひた隠し、そしてアメリカの薬剤メーカーをかばい、被害者は無視する。

あれはエイズ問題だけに関する体質ではない。
戦後の薬事行政全体に染み付いたものだ。

苦しむ被爆者に対して人体実験をし、そのデータをアメリカに渡した。
被爆者自身も他の日本人もそのデータの存在すら半世紀にわたって知らなかった。
被爆者にデータの利用目的も教えずに、無断で体にアドレナリンを注射し、その反応を観察したという。

これは、人間のすることではない。

「原爆投下後に兵士にアドレナリンを打てば、被爆していても奮い立って戦うか?」とい質問への回答になったのである。
被爆者は興奮状態には戻らなかった。

アドレナリンで高ぶらないということは、交感神経に異常をきたしているということだ。
人間の内臓は交感神経と副交換神経のバランスで安定を保っている。

アドレナリンに反応をしないということは、内蔵がいたるところで不調を起こしていることの証明になる。

現在の日本の薬事行政と薬剤メーカが石井731部隊の生き残りによって支配されてきたということを考えておくべきだ。
敗戦によって少しも変更をされていない領域なのである。

だから抗がん剤の治験には国民は用心すべきだ。

アメリカ開発の新薬を患者にうち、効くか効かないかを試してアメリカに報告する習慣が、今も持続している可能性があるからだ。

薬剤システムは戦後一度も反省したり修正されたりしていないのである。

苦しむ被爆者にアドレナリンを注射することも平気な連中であった。

今はその利権を継いでいる子や孫たちがやっているが、基本的思想張なんら変更されていない。
変更するきっかけも綺麗に消滅させてしまっている。

中国人が毒ガスでのたうちまわろうが、がん患者が抗がん剤でのたうちまわろうが、アメリカへの報告にこそ貨幣価値があると過去の成功体験に従って考えるはずだ。
アメリカ人は合理的な考え方だから、効果がある限り彼らを利用するだろう。

石井731部隊は、その意味でまだ現在も生きている。

原爆投下後に広島や長崎に入って残留放射能を浴びた人を入市被爆者と言う。
私は事後被爆者と言っていた。

番組の中では山口医専の若い研究者も原爆投下直後に広島に入いり入市被爆者になっていたことを紹介していた。

原爆の直撃を受けた被爆者に関する新聞記事をその医学生は山口に帰ってから読み、自分の体にも彼らと同じ出血斑が出てきたことなど、自分が放射能被爆を受けていることに気付く。当時の放射線医学の大家である都築教授が、山口の入市被爆した医学生を訪ねてきて、これから日記を書くように指示している。
なぜ都築教授は医学生の入市被爆の事実を知ったのかは番組の説明からは不明であった。

その医学生は日本語で毎日の自分の症状を記録し、まとまったものを都築教授に渡している。

そしてそれは英訳されてアメリカに渡されていたのだった。

アメリカ公文書が50年を経過して、極秘資料も公開されたことで入市被爆医学生の日記の存在がはじめて日本人にわかった。
都築教授以外の日本人にわかったというべきか。

NHKの番組では、高齢になっているが今も生存しているその元医学生を訪ねている。
そして英訳された日記を元医学生に見せた。

すでに病気を患っていてベッドに寝たきりの元医学生は、老眼鏡を額に掛けて寝たまま英訳日記を懐かしくみていた。
しかし、彼自身も日記が英訳されてアメリカに渡っていたことは知らなかった。

若き医学生は、「入市被爆の人体実験」のために被爆地広島に送り込まれた疑いさえ残る。
番組ではそこまで疑いを見せていなかった。

石井731部隊の戦中、戦後の思考方法を援用すれば、十分考えられることである。

戦争中でさえ広島被爆者の被害状況をアメリカに渡す目的で作成していた連中である。
その目的は戦犯訴追を逃れ自分が生き延びるためだ。
彼等は完璧なエゴイズムの固まりである。

日本人を使った人体実験を躊躇するような人たちではないから、入市被爆実験の疑いは色濃く残る。

入市被爆の詳細な医学データを採取するには、医学知識のある人間を入市被爆させるのがベストである。

米国の軍事研究者にとっては、原爆を使用した場合のソ連侵略などにおいては自国軍兵士の運用作戦などに大変重要なデータとなる。
当然、日本人の軍事医学研究者は彼らのニーズを十分容易に理解できる。

自国の兵士を原爆投下後に被爆地に投入したらどうなるか?
喉から手が出るほどアメリカの軍事医学研究者が欲しかったデータだ。

しかし医学生自身も、その他の日本人も、その英訳された日記の存在や活用方法を半世紀に渡って知らなかった。

一方で、石井731部隊は助命され、戦後に幸せな生活を堪能しているはずだ。
彼らが戦後どこにいて何をしていたのか、国は調査して国民に知らしめる義務がある。

彼らが活躍している現場は、国民にとってきわめて危険な世界である可能性があるからだ。

陸軍二等兵だった二十歳の私の父は、原爆投下の一週間後に広島に入市被爆していた。
今気づいたことだが、これも人体実験だった可能性が高い。

兵士たちは国民の救助は禁止されていた。
兵士の遺体収容だけが目的だったと父は言っていた。

だから水を欲しがる被爆者たちに何もできなかった自分を父は生涯責めつづけた。

兵士の遺体回収作業が原爆投下の一週間後というのはやはりおかしい。
真夏に一週間も放置すれば腐敗してしまう。
ウジムシだらけになる。

父がいたのは海田の海軍基地だ。
私は広島市に4年間住んでいたが、海田から広島市内までは車で一時間もかからない。
すぐに被爆した兵隊を救助に行けた場所に父はいたのである。

1週間も待機させた理由は何だったのか。
腐乱しきった遺体を、まるで廃棄物回収のようにスコップですくってトラックに泥まみれに積み上げて持ち帰ることに何の意味があるのだろうか。

兵士たちが上半身裸になって、汗まみれになって残留放射能を浴びながら1日中働くことに「意味」があったのではないか!

父は回天魚雷の特攻隊員の予備駒だった。
魚雷は海軍所属だが中身の人間は陸軍提供なのだ。

陸軍は農家の次男坊以下が多かったから、いくらでも補充できる。
これに対して海軍は資産家の出身が多かった。

人間が人間として扱われないのが戦争である。

75歳の父が執刀ミスで九州の国立がんセンターで死んだとき、執刀医が執拗に父の肝臓がんの臓器提供を願った。
肝臓の八割ががん化しており、こげ茶色に硬化していた。

母は内臓の医学研究に提供してもよいと医師に言わされたが、側にいた私(長男)が提供を拒絶した。

もうこれ以上父を痛め付けたくなかったからだ。

「葬儀屋に遺体を渡す前に処置がある。30分ほどしてから渡す。」といいながら、医師は悔しそうな顔で私たち遺族の前から消えた。
父の体を洗い、体の穴に綿でも詰めるのだろうとそのときは思った。

しかし一時間しても遺体が帰って来ない。

「おかしい」と感じた私は父の遺体がある病室のドアを開けた。

「あのう、処置はまだでしょうか?」

部屋には入口に白いカーテンが引かれ、部屋の中の三分の一ほどが見えた。

看護婦の白い服の背中の向こうに父の2本の毛脛と足だけが見えた。
そこで医師が何をしているかは私には見えない。

「入るんじゃあないっ!」

いきなり執刀医の鋭い怒鳴り声が私に飛びついて来た。

叱られるようなことをした覚えは、私の側にはない。

あるとすれば、執刀医の方に私を叱る理由があったはずだ。

徹夜して疲れていた私はそれ以上抗(あらが)う気力もなく、その場を離れた。

血管縫合ミスにより脳血栓を誘発し父を死なせた執刀医だったが、その元気過ぎる叱声だけが記憶に残った。

あのとき「何をしていやがるんだ!」と言って病室に踏み込めばよかった。

おそらく父の肝臓は遺族に無断で取り出されホルマリンに浸けてアメリカの軍事医学研究所に運ばれたのだろう。

石井731部隊の精神はいまもなお医学界に引き継がれているようだ。

自宅に帰った父の遺体の死装束を脱がしてそれを確かめるだけの勇気と気力は私には残っていなかった。
父の遺体を自宅の座敷で眺めつつ、浴衣の下の、胸骨のその下には丸めた大きな綿の固まりが入れてあるのだろうと想像した。

母も妹もこのことは知らない。
私だけが見た石井731部隊が現在に残した「陰影」である。

石井731部隊の生き残りは、多くは厚生省官僚や薬剤メーカーの重役になっていると言う。
今は彼等の子や孫が利権や資産を継いでいるはずだ。

薬害エイズ事件に彼等や子孫が多く絡んでいることは想像に難くない。
そんなことにはへっちゃらな人々である。

想像するにも恐ろしいことだが、父の手術ミスさえ意図的なものだった可能性があると思うようになった。

「私が血管縫合をミスしました」と堂々と言ってわるびれるでもなく、自信タップリに見せてくれた父の血管のX線写真は、縫合部が瓢箪のようにくびれていた。

手術前に父から電話で聞いていた執刀医は、父の友人の息子の外科医だということだった。

しかし父が脳死になってから、帰京して私が母に聞くと、執刀医は我々の別の知らない名前の医師だった。

父は知り合いの息子が外科医長だったから、てっきり彼が執刀するものと安心し切っていた。
私にも事前の電話で嬉しそうにそういっていた。

蓋を開けてみると、知らない医師が下手くそな血管縫合で殺していたことになる。

父自身は全身麻酔されていて医師が違うことは知らないままだ。

家族もてっきり父の友人の子の外科医がミスしたものと思っていたが、後手術ミスの説明を聞いた相手は別人だった。

素人の私でも、あれほどくびれた血管縫合はしないと思うほど細く血管を糸で絞っていたのだ。

執刀医は、40歳代後半にも見える働き盛りの外科医だった。
インターンのような未熟さはまったく感じられない外科医だった。

私の医師不振はますます高まっていくばかりである。

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