石川遼のような・・・ [つれづれ日記]

会社を定時に出ると、いつも目の不自由な若い女性を追い越すことになる。
パワハラ社長やセクハラ相談役の活躍する汚いオフィスから一刻も早く脱出するために、終業チャイムと同時に私は脱兎のごとく職場を出る。

エレベーターを降りてビルの一階玄関へ向かう。

一階ロビーに降りると、例の白い杖の女性が私の前を歩いている。

白い杖は白杖(はくじょう)と呼ぶことを学んだが、西洋で呼ぶケーンと呼ぶ方がよさそうだ。
「はくじょう」なんて響きがとても悪い。

広いロビーは冷たい人工大理石タイルであり、そこには点字ブロックなどは全くない。
だから彼女には歩き辛い空間だ。

自動ドアの左にある固定ガラス戸に彼女の白い杖が当たり、やがて彼女のつま先もガラス戸に当たって停止した。
私は意図はしていなかったものの必然的に彼女の右側をさっと追い越すことになった。

彼女の歩行の邪魔をしないためにには、私が早く自動ドアからでないといけない!

そのとき、私の左足の革靴の踵(かかと)部に白い杖の先がコツンと当たった。

私は後ろを振り返って「失礼」と詫びながらも、早めた歩速をゆるめずに先に自動ドアを抜け出た。

あるいは自動ドアの手前で私が立ち止まりケーンの彼女が自動ドアを出るまでじっくり待つという選択もあった。
しかしそれは机上の空論である。

一連の流れの中で、私は親切な行為だと思って急いで自動ドアの前に行き、彼女よりも先にドアを開けたのだ。

彼女は空いているにもかかわらず自動ドアの前でちょっと立ち止まり、杖の先でドアが空いていることを確かめてから出てきたようだ。

「ようだ」と言うのは私は後ろを見ていないからだ。

「失礼」と言ってちょっと振り返ったときに、私の後ろに彼女が一瞬立ち止まっている姿が見えた切りである。

そうか、彼女は私の踵に杖が当たったから、何か障害物が自動ドアの位置にあると気づいたのだろう。

足音から人間に杖が当たったことは気づいていただろうが、その前にいた人間がまだいるかどうか探っていたのだろう。

ロビーでは私の革靴の足音がしていたからだ。

よかれと思い早めた私の足だったが、返って彼女の歩く上での障害になってしまった。

数日後にはもう少し危険な光景を目にした。

彼女は「石川遼のような健常者にしか特約を支払わない保険会社」に入っては駄目だと思う。

目が不自由な白い杖の彼女が危うく事故に遇うところだったのだ。

傷害がある方は「石川遼のような生命保険会社」は避けた方が無難だ。

それは私が歩道に出てから白い杖の女性を追い越すときだった。
私の後ろを歩いているサラリーマン紳士が小さく叫んだ。

「危ない!」

居酒屋が歩道の中に持ち出して置いた看板灯に彼女がぶつかりそうになったからだ。

その声と同時に白い杖の先が看板灯に当たり「コン」と金属音を鳴らし、彼女は看板灯の30cm手前で停止した。

それまでは「チャッチャッチャッ」と小気味良い音が白い杖と歩道の石によってリズミカルに出ていたのだが、突然「コン」と空虚な金属音に変わった。
それで彼女は立ち止まったのである。

紳士の「危ない」という声で立ち止まったのではない。
声のほうが「コン」よりも早く出ていたが、彼女は他人の声では止まらない。
杖の音で停止していた。

後ろのサラリーマン紳士とほぼ同時に私も「危ない」と思ったが、私は声に出していない。

それは私が薄情だからということではない。

通い慣れた歩道でなら彼女の能力なら障害物を交わせると思ったからだ。
でも心の中では私も「危ない」と叫んでしまっていた。

その無言の叫びと紳士の声は同時だった。
「コン」はその0.5秒後だった。

紳士は素直に危ないと感じ警告の声を発したのだろう。
私は無言で彼女の応対を眺めていただけである。

彼女は30センチの停止制御能力を持っている。
但し、それは障害物が静止している場合である。

一人で通勤すると決心した日から、彼女は自分の努力だけで歩くことに決めたのである。
だから同伴者もいないし、盲導犬も連れていないのだ。

みちゆく紳士たちに声をかけてもらわないと歩けないのではない。

後ろの紳士と違って、私は今日の彼女は「真っすぐ歩けている」ということをその前に見ていた。
だからこのまま行けば看板灯にぶつかるということも予想できた。

しかも交わすだろうということも期待していた。

本日は晴れ、微風である。
人は十メートル長さの区間に十人くらい歩いている。
今日の歩道の通行量は平日並だ。

やはり人の足音や話し声で自分の歩くべき方向を見極めているのではないだろうか?
まだ確信は持てないが、今日は完璧に真っすぐに歩けていた。

先日、風のある曇りの日には、彼女は横方向に三メートルも蛇行しながら歩いていた。
そのときは人通りが少なかったので、歩行者の話し声により歩道の方向を知ることができなかったのではないかと推理している。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。