キンナリか?~奥州街道(4-174) [奥州街道日記]

TS393315.jpgTS393315矢びつ温泉「瑞泉閣」の案内
TS393317.jpgTS393317満寿紗華が見送ってくれる
TS393318.jpgTS393318「和牛の里 金成」

街道に『矢びつ温泉「瑞泉閣」』の案内板がある。
27km先だという。

現代の道路の看板は、車向けの看板である。
街道を歩いている旅人には一向に参考にはならない。

江戸時代の看板が保存されているならば見てみたいものだ。
徒歩旅行者向けだから「あと少しだ、頑張ろう!」との気持ちを喚起させる面白いものが多かっただろう。

しかし、赤い満寿紗華(彼岸花)たちが歩く私を見送ってくれる。
車の旅行では一瞬で消え去る花たちだが、ゆっくりゆっくりと姿を変えながら私とすれ違う。

「和牛の里 金成(かんなり)」の看板が田んぼにたっていた。

馬の産地であり騎馬戦上手な蝦夷の地である奥州だが、和牛の里がぽつんとある。

牛の文化は日本列島の南から北上していったものだ。

「蚤虱(のみしらみ) 馬の尿(ばり)する 枕もと」は、芭蕉が山形の農家に宿を借りたときに読んだ句だ。

奥州地方では、農家は農耕馬を家屋内に飼っていた。
大きな家では家屋の北側に馬の部屋を作っていた。

芭蕉が寝床を借りた部屋が馬の部屋と隣り合っていたのであろう。
蚤も虱もいるし、ときどき馬が小便(ばり)をする音が枕元に聞こえてくる。

奥州は馬の文化なのである。
そのど真ん中に牛の文化の金成(かんなり)村がある。

北から南下してきた馬の文化と南から北上してきた牛の文化は関東付近でぶつかり混在したようだ。

金成は南から来た人々が住み着いた牛の文化を持つ村かも知れない。

金売り吉次が京都から白河以北へ移住したことと金成村の成立となんらかの関係があるのではないだろうか。
ひょっとして金成(かんなり)とは「金(きん)が産出される」という意味「きんなり」のことではないかと思った。


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