金成の網走ラーメン~奥州街道(4-166) [奥州街道日記]

TS393285.jpgTS393285金成(かんなり)の「網走ラーメン」
TS393286.jpgTS393286一関まで15km
TS393287.jpgTS393287赤いバラ

金成(かんなり)の「網走ラーメン」の看板がある。
もし九州で「網走ラーメン」の看板を見れば場違いなものという感じがするだろうが、奥州で見る「網走ラーメン」が場違いなのかどうかわからない。

道路標識には「盛岡107km、奥州40km、一関15km」と書いてある。

確かに北海道は奥州からは近いのであるが、北海道の中でも網走は北の果ての方にあり、やはり遠い。

「遠い網走のラーメン」という印象を地元の人は受けるのだろう。
明治時代には元会津藩士を始め多くの東北人が蝦夷開拓のために北海道に入植した。
ありていに言えば、現地人アイヌの人々の土地を無断で奪い植民地化していったのである。

先祖に開拓民がいる家庭の人々にとって、最果ての網走は決して知らない土地ではないのであろう。

一関まで15kmだから、一関が私の1日の旅程の範囲に入ってきた。
しかしそろそろ日が西に落ちて行っている。
3日目のテント設営の場所を決める必要が出てきた。

畑に農家のご婦人が植えたのだろうか、赤いバラたちが美しい。

街道のどこかで見かけた温泉が数km先にあるという。
風呂に入るため国道4号線を歩く。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。