日韓併合を早めさせた安重根の行動 [奥州街道日記]

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ryouhann「碁を打つ両班の男性(1904年) 」(両班(Wikipedia)より引用)


NHKスペシャルのプロジェクトJAPANシリーズ「日本と朝鮮半島 第1回 韓国併合への道 伊藤博文とアン・ジュングン」という番組で井沢元彦氏の事件評価が紹介されていたという。

残念ながら私は見逃していた。

いま井沢元彦氏の書いた「逆説の日本史」(小学館文庫)シリーズの12巻まで読み進んできたところである。
私の歴史観を大きく変えてくれるこの本の愛読者になっている。

その井沢氏の安重根評価は、逆説の日本史のところどころで読んだ記憶があるので大体の想像はできる。

それを調べた人がいるので、その記事を抜粋してみる。

『以前読んだ「やっかいな隣人 韓国」呉善花・井沢元彦著(祥伝社)でも同じことを言っていたと思っていたのでwebで探してみた。(引用元)

<井沢元彦:朝鮮が独立できたのは、日本の伊藤博文のおかげだ。

しかし、伊藤博文は、韓国人暗殺者・安重根に暗殺された。
その安重根が、英雄になった。

韓国では安重根は〔日韓〕併合を阻止するために伊藤博文を殺したと信じている。

しかし、伊藤が暗殺されてから併合の気運は高まった。>[『やっかいな隣人 韓国』呉善花・井沢元彦著(祥伝社)]

<呉善花:伊藤博文は、韓国を日本に併合することには反対でした。
日本の保護下に置いて力をつけさせ、それから独立させるのがよいと考えていたのです。

一方、日本の軍部にはこれに反対する意見が強くあった。

保護国化でいくのがよいのか、併合したほうがよいのか。

二つの考え方が日本にあって、保護国化論者の中心が伊藤博文だったのです。
安重根はそういう状勢の中で伊藤博文を暗殺しました。

あまりにも見当違いの行動だと言わざるを得ない。

〔韓国の〕教科書はそういうことを隠して、安重根が伊藤博文を殺したのは、伊藤が日本を併合しようとしたからだと仕向けている。>[前掲載書]』

(「伊藤博文と安重根」より)
http://toast.exblog.jp/m2010-04-01/

井沢氏は逆説の日本史の中で、歴史を間違ってみることを常に厳しく戒めている。
日本のみならず、韓国の歴史家や韓国国民へも同じことを主張している。

中国に長い間隷属していた朝鮮は、中華思想、つまり中国以外は文化的に劣る僻地の国だと見下げる思想に取り付かれていた。

そういう視点で外国との間の外交問題や事件を眺めると、大事な事実を読み間違うことになると。

日本人にも手厳しいが、その姿勢は隣国の友人たちと接しても変わらない。

「嘘」をあたかも歴史的事実であるかのように政府や国民が主張することの危険性を訴えているのである。

嘘で固めた平和などいずれ崩壊するということを歴史は教えてくれているからだ。

そういう井沢史観で安重根の伊藤博文暗殺事件を理解すると上記のような意見になる。

当然抗日思想で固まった韓国人からの一方的な批判を予想してか、韓国人らしき人物呉善花氏による事件の見方も添えている。

井沢氏の主張はこうである。

安重根は日韓併合を阻止するために伊藤博文を殺したと信じられているが、事実はまったく逆である。
安重根が伊藤博文を殺したために、日本国内では日韓併合を推進する派閥の意見が強くなってしまい日韓併合を実現させてしまった。

私には本当のことはわからないが、今愛読している作家の意見はすんなりと腹の中に入ってしまう。

井沢氏に私が洗脳されてしまっているからなのか、あるいは井沢氏の主張に論理的整然性を認めてしまうのか、私にはわからない。

もし、日本のどこか、ひょっとしてクリハラ村に安重根の遺骨が慰霊されていると仮定すれば、そうであれば安は当時の日本国家(日本帝国)のために命を捧げたものだという解釈が成り立つだろう。


100年が経過した現在でもなお、韓国のほとんどの人が必死になって安重根の遺骨を捜している。
韓国大統領も必死に探している。

『安はまた自分が軍人扱いの「捕虜」として銃殺刑に処せられることを望んだが、犯罪者として絞首刑に処せられることとなった。

死刑執行の当日、安重根は世話になった日本人看守の千葉十七に、「先日あなたから頼まれた一筆を書きましょう」と告げ、「為国献身軍人本分」と書いて、署名し薬指を切断した左手の墨形を刻印した。

そして彼は、「東洋に平和が訪れ、韓日の友好がよみがえったとき、生まれ変わってまたお会いしたいものです」と語ったという。

1910年3月26日、安は旅順刑務所内にて処刑された。
伊藤が絶命してからちょうど5か月後であった。

安重根の死から更に5か月後の1910年8月22日、日韓併合により大韓帝国は滅亡した。』(安重根(Wikipedia)より)

安は軍人として「日本の捕虜」となること、それにより銃殺刑となることを希望していた。
当時の日本側はその希望は認めなかった。

大罪人として絞首刑に処した。

また、安は「東洋の平和と韓日の友好」を願っていた。
当時の日本政府や陸軍首脳の夢も、形の上では安の夢と同じものを公言していただろう。

昭和の時代に「五族協和」や「王道楽土」「八紘一宇」などの標語に表されるアジア統合思想である。
看守の千葉十七に頼まれて書いた遺墨は、200あるうちでももっとも最後に書いた書であろう。

しかもそれに断指した薬指の傷口の痕(あと)を刻印して渡している。
安が日本人に渡した「一種の遺言」といってもいいかもしれない。

その遺墨は「為国献身軍人本分」である。

安がキリスト教徒であることの思いなどは微塵も表現していない。
千葉十七がキリシタンだったかどうかはわからない。

千葉十七が育った金成村にロシア正教会が当時あったことは事実である。

「国のために身を捧げることは軍人としての当然の役割である。」という意味の言葉をなぜ日本人千葉氏に向かって書いたのか?
これが重要な点であろう。

これは、断指の痕(あと)を墨書に刻印するほど真剣な安の意思表現なのである。

「国」が韓国自身を指すのであれば、こんな言葉を聞いて千葉十七が感動するはずもない。
安は当時の日本国総理大臣を射殺した韓国人なのである。

では、安のいう「国」が「日韓併合後の国」を指すとすれば、どうだろうか。
なるべく早く日韓を併合してもらい、広大なアジア全体を支配する世の中に早くしてもらいたいと願っていることだろう。

それは欧米列強による植民地政策に対する「アジア独立のためのその合同防衛」を意味する。

その場合の安の言う「国」とは、千葉十七が重い描く「国」と姿が重なるはずだ。

「為国献身軍人本分」は、同志の千葉十七に向かって「同志として当然のことをしたまでです。」というニュアンスになるだろう。
そうであれば、千葉十七は自分たちの身代わりとなって安が政治テロを実行したのだと感動したことだろう。

千葉十七のその後の行動を見れば、安のいう国が韓国のことではないことは明らかであろう。
そんな顕彰碑の存在を過激な思想の日本人たちが許すはずはない。

栗原村に顕彰碑文とともに石碑が実在していることは、村の一部の人々、とりわけ権力中枢にいた人々には安が行ったことへの暖かい理解が存在していたことを客観的に物語っている。

キリスト教信者として神のご意思に沿って行ったテロという場合も、金成教会のある栗原村では顕彰されることだろう。
安が信心深いキリスト者であったことは間違いないが、千葉十七がキリスト者であったか、あるいは旅順監獄で信者となったのかは不明である。

その可能性も十分あると思っている。
日本でもっとも早い時期にロシア正教会が誕生した金成地区の人間が、たまたま旅順監獄に勤務していて、たまたま安の管理を担当したといういくつもの偶然を認めがたいからである。
偶然の重なることがあることは認めるが、国家非常に関わる重要な問題に偶然が重なることにやや奇異な思いを抱いている。

安は黄海道都・海州の両班(りょうはん)の家に生まれている。
大韓民国では「ヤンバン」と読み、朝鮮民主主義人民共和国では「リャンバン」と読む。

文武両班という意味があるようだ。
李氏朝鮮時代のキャリア組エリート官僚である。

『兩班は、高麗、李氏朝鮮王朝時代の官僚機構・支配機構を担った身分階級のこと。
士大夫と言われる階層とこの身分とはほぼ同一である。

なお、朝鮮半島の身分制度は韓国併合後に廃止された。

李氏朝鮮王朝時代には、良民(両班、中人、常人)と賤民(奴婢、白丁)に分けられる身分階級の最上位に位置していた貴族階級に相当する。
現在の韓国においても李氏朝鮮の両班のように志操の高い精神構造を両班精神、両班意識などと呼んだりする。

しかし、高麗時代に両班が作られた時は身分階級ではなく官僚制度を指す言葉だった。

時代が下るにつれ両班の数は増加し、李氏朝鮮末期には自称を含め朝鮮半島の人々の相当多数が戸籍上両班となっていた。
現在の韓国人の大多数が両班の血を引くと自称しているが、族譜を見れば大体分かる。』(両班(Wikipedia)より)


日本でも我が家は貴族の藤原氏の末裔であるとか、源氏の末裔であると詐称する人は多い。
明治時代の朝鮮半島に、どれほどわが屋は昔「両班」だったと自称する人々がいたのだろうか。

遺伝子が極めて近い日韓民族であるから、詐称する人は多かっただろう。

安も「両班」の家に生まれたという。

それが事実だとすれば、伊藤博文の暗殺、その後に起きた日韓併合によって朝鮮半島の身分制度は廃止された。
安は自らの過去の栄光をも消したことになる。
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