金成正教会を建立した酒井篤礼 [奥州街道日記]

『酒井篤礼、川股篤礼(1835年~1882年)は現在の宮城県栗原市出身の医師である。
まだキリスト教禁制下の1868(明治元)年、沢辺らとともにニコライより聖洗機密を受けて、日本ハリストス正教会初の信者(ハリスチャニン=クリスチャン)となった。

聖名(洗礼名)はイオアン(ヨハネ)。

のちに妻と子も洗礼を受けた。

翌年、郷里の金成で布教をしていて捕縛を受け、2年間を獄舎で送る。

1875年、函館正教会にて沢辺とともにカムチャツカのパウェル大主教より按手礼(神品機密)を受け、輔祭(沢辺は司祭)に日本人として初めて叙聖され、後には司祭に叙聖された。

再び金成に戻り、仮会堂を建て布教活動を続けるも迫害を受け、仮会堂を破壊されるなどの辛酸を嘗めるが、生涯を医業とハリストス正教の伝道に捧げた。
1882(明治14)年3月、46歳で盛岡市にて永眠。』(酒井篤礼(Wikipedia)より)

酒井ヨハネ篤礼は、ここ栗原市出身の医師だった。

なぜ酒井はロシア正教に入信したのだろうか。
それは函館で四民平等の社会を見たからである。

龍馬の従兄弟の沢辺琢磨は函館でアイヌ人と日本人と一緒の席に座られせていた。
その光景はコレハル村のアザマロの末裔たちが、奈良味代以来あこがれていたものであったはずだ。

ここ栗原村は、奈良時代にはコレハル村であった。
蝦夷のリーダーアザマロは大和朝廷に殺された。

長い差別の歴史から抜け出すためにもロシア正教会の指導を受ける必然があったのである。

酒井は代々蝦夷一族の幹部の家系の出身ではないかと思った。

脱藩逃亡したとはいえ、従兄弟の沢辺琢磨が坂本龍馬とまったく音信がなかったとは思えない。

函館での四民平等の社会の姿を書いて送ったことだろう。

坂本龍馬には四民平等、ルソーの民約論の思想的影響があるといわれている。

明治革命が成功し、坂本龍馬が政権中心に座った場合、身分社会が崩壊し武士の利権が失われることに危機感を抱いた大名や重臣たちが攘夷派の中にもいたのではないだろうか。

朝廷や薩摩を坂本龍馬暗殺の下手人にあげる説は、龍馬の説く平等性への恐れから生まれたものであろう。
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