前島密とプロテスタント系キリスト教の接点 [奥州街道日記]

nikoraido.jpg琢磨が関わったニコライ堂(ニコライ堂(Wikipedia)より)
maejimahisoka.jpg前島密(「前島密(Wikipedia)より)

沢辺琢磨と酒井篤礼は、明治元年に禁教令を冒して日本で最初のロシア正教会の受洗者となった。

千葉十七のいた栗原村(金成)にある金成ハリスト正教会は、酒井篤礼が建てたものである。
信者の増加とともに最初の日本人信者である沢辺琢磨と酒井篤礼の役割は大きくなっていく。

『司祭として
やがて教勢が伸び、日本人神品(聖職者)の必要性が高まってくる。

ニコライは明治8年(1875年)7月に東京で第1回の公会議を招集し、その中で司祭の選立が討議された。

出席議員による選挙で琢磨と酒井、他2名が選ばれたが酒井ら3名は推薦を固辞した。

話し合いの結果、琢磨を司祭候補に、酒井を輔祭候補とすることに決定した。

そして、同年の末に函館の聖堂にてこの日のために来日した東シベリアのパウェル主教の按手によって琢磨は日本人初の司祭に叙聖された(酒井も輔祭に叙聖された)。

わざわざカムチャツカからパウェル主教を招請したのは、当時ニコライはまだ掌院(司祭の位の一つ)であって、主教ではなく、神品機密執行の権能がなかったためである。

はれて司祭となった琢磨は任地や各地の教会で聖体礼儀を司祷し、また洗礼機密を授けて多くのハリスチャニンを育てた。

後に長司祭(ロシア正教会の正式な位階である長司祭(archpriest)とは異なり、主教区内において主教の権限で授与される称号。
今日では「管長」という訳語があてられている)に昇叙された。』(沢辺琢磨(Wikipedia)より)

琢磨の運命は前島密によってコントロールされていたように見える。

多少重複するが、函館に琢磨が渡った経緯を紹介する記事を見つけたので抜粋する。

『信仰に生きる沢辺琢磨

沢辺琢磨に関する最も新しい道内の文献は55年6月に発行された『随想・はこだて散歩』(NHK函館放送局編、みやま書房刊)である。

これはラジオ放送のシリーズ企画であり、53年2月放送の「函館の歴史とギリシャ正教」の中で、函館ハリストス正教会司祭の厨川勇さんが話された内容の一部に登場している。

本稿では、函館側から見た沢辺像ではなく汎日本的を立場から沢辺琢磨をとりあげてみたい。
あわせて厨川司祭が不明とされておられる部分についての解明も試みてみよう。

琢磨は旧名を山本数馬という。
高知県土佐郡潮江村(現高知市)で天保6年に生まれている。
父山本代七の弟は八平と言い、のち歳谷屋坂本へ養子に入って竜馬という傑物を生むことになる。

数馬の母は、武市半平太の妻女富子夫人の叔母に当たる人。

数馬と竜馬は同じ年齢で文句なしのイトコ同士だが、半乎太とは義理の間柄であった。

3人ともに剣の天才である。

安政2年(1855)、数馬は江戸へ出て鏡心明智流の桃井春蔵道場へ。たちまち「カラス天狗」の異名をとる。
翌年、竜馬と半平太も江戸へ。

竜馬はこのとき千葉周作の弟定吉が開いていた楠町の千葉道場へ入門している。

安政4年夏、山本数馬は同門の田那村作八と酒を飲んで歩き金時計2個を拾う。
これを田那村の教唆によって、飲み代に代えようとする。

浅草の時計商へ持って行き、現金化しようとするが、すでに手がまわっていて、氏名を聞かれる。
そのとき「拙者は土州藩の山本格馬」であると嘘をついた。

しかし金時計泥棒は土佐の山本ということになってしまう。
江戸放逐、悪ければ切腹もあり得る。

そこで藩の名誉を守るために武市半平太と坂本竜馬は、数馬を逃がすことにした。

これが彼らの永遠の別れとなる。

数馬は事件発生から10日目の8月14日、行方不明になった。

彼はその足で仙台、会津などをまわり新潟へやってくる。
所在なく港で船を眺めているとき、数馬に声をかけるものがあった。

「箱館は文明開化の街です。いま日本で新しいことを学ぶなら箱館しかない。
それに四民平等の街とも聞いています」

どうです行きませんか、と琢磨に声をかけたのは、のち日本の郵便事業の開祖となる前島密である。

このあと数馬の行動は判らないが、安政5年春、再び数馬の名が歴史に現われる。

箱館の丸仙旅館で強盗退治をしたのである。

これに感謝した宿の主が、箱館神明社境内に堀立小屋の道場を作り、数馬に進呈する。

この宮司が沢辺悌之助と言い、後継ぎがいない所から養子話になり、ついに山本数馬は沢辺琢馬として生まれ変わることになる。

神官としての琢磨も型破りであった。

安政の大獄が起きるや、大鳥居に「義援金募集」の貼り紙をし、窮民救済にのり出している。

当時アイヌはシャモの家へ上ることを禁じられていたが、彼らをどんどん座敷へ上げ、一緒に酒を汲み交わしたともいう。

しかし一方で、彼は徹底した摸夷論者であった。

ギリシャ正教の布教に来ていたニコライを、いつかは斬りすててやろうと機会をうかがっている。

以下は昭和11年10月、日本ハリストス正教総務局発行の『大主教ニコライ師事蹟』から引用する。

「…大刀、結髪、頗る殺気を帯び、ニコライ師を訪い、その室に入るやいきなり怒号して、汝は切支丹の邪宗を伝えて、わが国を窺うものであろうかと当たるべからざる勢いであった。
ニコライ師平然として、しからば貴下は、わが伝える宗門の教義を知らるるかと反問した。しらんと武士は答えた」

ここに武士として描かれているのが沢辺琢磨である。

2日目も琢磨は撲りこみをかけた。
ニコライは話す。

3日目の昼すぎ、琢嵐はニコライの話すことを筆記するようになる。

こうして琢磨は、ギリシャ正教の教義に感化されて行く。
慶応元年(1865)のことであった。

この前の年、富士屋卯之吉に手引きをさせて新島襄を密出国させたのも琢磨のシナリオである。

明治8年春、琢磨は司祭になった。

そうして、日本での伝道には東京に本部を置かなければいけないとニコライ師に説く。
土地の手配や宮大工などの人集めにかけ回り、神田駿河台に威観ニコライ堂が聳えたったのは、明治24年2月のことであった。

以下略。』(「2人の土佐人について」より)
http://www.geocities.jp/alfa323japan/jiyuu.html

新潟港で浪人侍の琢磨に「函館へいかないか」と声をかけた人物は、前島密(ひそか)である。
なにやら港湾の日雇い労働者募集活動のような光景である。

前島は幕臣だったようだが、キリスト者であるかどうかは私は知らない。
学術用語にいう「カクレキリシタン」であれば、その証拠は残していないだろうから永遠にわからない。

しかし、キリスト教の宣教師から英語を学んでいるから、キリスト者との人脈は持っていたはずだ。

『ウィリアムズ、C.M.主教は、日本聖公会初代の主教で、安政6年(1859)6月末、長崎に渡来した宣教師である。
英学教育を通して日本人に接触を試みるなど積極的な教育&伝道を行った。

当時の生徒に前島密、大隈重信らがいる。』(「泉 園子」より)
http://www5e.biglobe.ne.jp/~BCM27946/izumisonoko.html

前島密は1835年2月の生まれだから、英語を習い始めた安政6年(1859)6月のころの前島は、満24歳の青年だった。
多感な青年が日本聖公会初代主教の教えに敏感に反応したことは十分考えられるが、洗礼を受けたかどうかはわからない。

英語を宣教師から習ったことだけは事実である。

歴史上著名な人物である前島の「Wikipedia記事」は恐ろしく事務処理的で簡素な記述になっている。

『天保6年(1835年) - 越後国頸城郡下池部村(現在の新潟県上越市大字下池部)に豪農、上野助右衛門の二男としてうまれる。房五郎と名づけられる。
弘化4年(1847年) - 江戸に出て医学を修め、蘭学・英語を学ぶ。
安政5年(1858年) - 航海術を学ぶため函館へ赴く。名を巻退蔵と改める。
安政6年(1859年) - 武田斐三郎の諸術調所に入る。
慶応元年(1865年) - 薩摩藩の洋学校(開成所)の蘭学講師となる。
慶応2年(1866年) - 幕臣前島家の養子となり、家督を継いで前島来輔と名乗る。漢字御廃止之議を将軍徳川慶喜に提出。 越後国頸城郡下池部村の豪農、上野助右衛門の二男としてうまれている。』(前島密(Wikipedia)より)

この郵便事業の創始者に関する不可思議なWiikipedia記事の様相は、現在でもなお不可思議な動きを見せる郵政事業の政治的な怪しさと連動しているようで面白い。

青年前島は、安政5年(1858年) に 航海術を学ぶために函館へ赴き、そこで日本聖公会初代の主教ウィリアムズ、C.M.から英語を学んだのである。

Wikipedia記事にはこのように「ときどき意図的に事実を秘匿しようとして簡潔記載する癖」がある。

先ほどの安重根の記事でも、辞世の句ともいえる次の遺墨の解説が極めて不親切であった。
私は先の記事にこう書いた。

『「安重根(Wikipedia)」の記事には、彼の辞世の句とも言える漢文がさらりとこう書かれていた。

『"一日不讀書口中生荊棘" 安重根が獄中で書いた遺墨の一つ。』』

このいい加減さというか、情報操作の痕跡を発見した私は、この遺墨の意味の調査に熱を上げた。
それはこれまで数件の記事に書いたものだった。

結果的に安重根は19歳で洗礼を受けた類まれなほど熱心なキリスト教徒だということがこの遺墨からわかった。
わかる人にはわかるように書いてあったのだ。

安重根の獄中の読書の対象が聖書であることを知っている人にとっては、この漢詩の意味は説明するまでもないほど明瞭なものであったのだ。
しかし、一般庶民は何のことやらわからないような説明で終わっていた。

前島密の来歴を語るはずのWikipedia記事を見て、そのときと同じようなアドレナリンが私の体内に沸いてきた。
意図的な情報加工や隠ぺい工作を感じると、殊更(ことさら)に調査意欲が掻き立てられる。

情報があふれアクセスが容易になった現代社会では、このような「意図的な情報隠蔽」は情報戦略の失敗となるであろう。

前島が函館で親密になった日本聖公会初代主教の属する「日本聖公会」とは一体なんだろうか。
同じキリスト教ではあるが、ロシアの正教会とは異なるものである。

『聖公会(せいこうかい、Anglicanism, Anglican Church)は、イングランド国教会 (Church of England) の国教派から始まる、監督制を認めるキリスト教の教派。

いくつかの国では監督派教会 (Episcopal Church) として知られるが、これはスコットランドがほぼ長老派になったときにそこの国教派がそう呼ばれ(Scottish Episcopal Church)、またアメリカ独立戦争のときに国教派との関係が断たれて聖職按手などをスコットランドの国教派との協力で行なったので米国聖公会がそう呼ばれるようになったからであり、実際は聖公会の他にもルター派やメソジストなどの監督制の教会が存在する。

スコットランドでそのように呼ばれるようになった所以は、清教徒革命のときに国教会派側と対立した長老派と組合派に対するものと思われる。

聖公会には、典礼の形式を重んじるハイ・チャーチ (High church)系、福音的なロウ・チャーチ (Low church) 系、中道をゆく教会などがあるといわれるが、これは正式の教会組織ではなくて、いずれも同じ主教の監督下で運営されていて、もともと聖公会はプロテスタントの多くの宗派を生み出した母体で、さまざまな考えの人々を許容・包含している。

教条として1563年に制定された英国聖公会の39箇条(聖公会大綱)を認めている。(聖公会の日本での組織である日本聖公会においては、批准されていない。)

聖公会系の教会は、大英帝国の植民地の拡張に伴い、アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ等で信者を増やしていった。現在ではイギリス国外における信者の人数が、国内の信者の人数を上回っており、その大部分はアフリカとアメリカの黒人で占められる。国外における著名な高位聖職者としては、南アフリカのデズモンド・ツツ大主教が挙げられる。国外の各組織は、アングリカン・コミュニオン参照。

古カトリック派・マラバル教会などと完全相互聖餐関係にある。

世界の聖公会の主教が10年ごとに集まり、意見を交換する会議は、ランベス会議として知られている。』

難しいことがたくさん書いてあるが、どうやらプロテスタント系のキリスト教であるようだ。

イングランドではカトリックとプロテスタントは長い間互いに殺しあっていた仲である。

坂本龍馬が長州藩向けの武器や軍艦を薩摩藩名義で調達した英国人商人グラバーは、カトリック教会の隣に住んでいた。
長崎はカトリックが支配していたのであろう。

しかし、函館はロシア正教会とプロテスタント系の日本聖公会が縄張りにしていたようだ。

薩長と幕府の対立は、それらに軍事支援をしていた国々同士の対立でもあった。

薩長は英国の支援を受け、幕府はフランスの支援を受けていた。

長崎は幕府直轄ではあるが、実質的には隣の薩摩藩(英国支援)の勢力下にある。
函館は幕府(フランス支援)の勢力下にある。

どうやら宗教は軍事戦略と一体で結びついているようである。
「日本でそうなっていないのは織田信長のおかげである」と井沢元彦氏は説いている。

日本でも延暦寺、高野山、大阪の石山本願寺の一向宗(真宗)など強大な僧兵軍団を抱える宗教大名のような存在を信長は次々に壊していった。
宗教と政治・軍事を切り離し、信仰だけを許すことにしたのである。

しかし、世界史にはまだ信長のような救世主は生まれていなかった。
相変わらず政治・軍事と宗教は表裏一体となって海外侵略を行っていた。

後に幕臣になった前島密が、函館の日本聖公会の宣教師から英語を学んだのは当然の結果ということになろう。

カトリックの大浦天主堂とグラバー園は敷地に境がないように見えるそうだ。
ほとんど一体となって立地している。

旅行者の楽しげなブログ記事を抜粋する。

『大浦天主堂とグラバー園って隣り合ってるんですね。
まぁ、長崎自体が小さな街なので観光スポットもコンパクトにまとまっていますね。

その脇にあったんだけど「ボウリング日本発祥の地」らしいです。
しかしこの石碑…「ボーリング」を「ボウリング」に書き直している(笑) ボーリングだと地質調査だからねぇ。
でも、東京の「レインボーブリッジ」は「レインボウ」じゃなくて「レインボー」なんよね。納得いかないけど…。

大浦天主堂
結局、長崎は「中国」と「オランダ」の切り口があるわけですが、それが混在しているわけでもなくてある程度の棲み分けがされているようです。

大浦天主堂 は教会だけあって特にこれという物はないです。
京都や奈良の寺や神社を考えると教会というのは純粋に人が集まるための場所だなと思わせます。

調べてみるとこの教会はカトリック系の教会らしいです。
カトリックであろうとプロテスタントであろうと基本的には「寄り合い所」としての意味合いが強いようです。

しかし、車いすの人はキツい場所ですね。キツいというか不可能に近いかも。

長崎と言えば「オランダ」ですがオランダはプロテスタントなのに、この教会ってフランス系のカトリックなんだなぁ…と思って調べると1863年着工で1864年竣工で、ちょうど明治時代になる数年前です。

つまり江戸幕府が不安定になってオランダも世界的には凋落しており、他の米英仏などの海運国が東洋の派遣を狙って進出したのではないでしょうか。
意外に新しいもので驚きです。

グラバー園
大浦天主堂とグラバー園ってかなりシームレスになっていて入場料を払わなければ行った人もどこからがグラバー園なのかわからないのではないのでしょうか。』(「大浦天主堂とグラバー園」より)
http://takacello.net/blog/2008/0420/4297/

グラバーと親しく商談を交わしたとしても、坂本龍馬がカトリック教徒になったという話は聞いたことがない。
しかし、坂本龍馬についてはフリーメイソン説がある。(フリーメイソン(Wikipedia)記事に書いてある。)

そのフリーメイソンの英仏組織が明治元年に断絶している。
日本維新革命が成立したことが、その後の欧州のアジア政策に大きく影響を及ぼしたのではないだろうか。

外交的には、明治維新戦争は、英国の勝利、フランスの敗北で終わった。

『今日においてなお歴史的評価が難しいのは、イギリスの次にグランド・ロッジが成立したフランスのメーソンリーであろう。

世界史の展開に深く、しかも劇的に関わったという点では、フランスのメーソンたちは、本家イギリスのメーソンをしのぐ。オルレアン公フィリップ、ヴォルテール、ミラボー、ロベスピエール、ラファイエット、モンテスキュー、ディドロ等々、フランス革命の名だたる立役者がフリーメーソンであったことはまぎれもない史実である。

ここで注意を要するのは、1771年(73年という説もある)にフランス・グランド・ロッジから独立する形で創設されたグラントリアン(大東社)である。

日本において公刊されているフリーメーソンリーの研究書は、ほとんどがこのグラントリアンと、イギリスに誕生した「正統」フリーメーソンリーとを並列するか、あるいは曖昧に混同して記述している。

しかし、イギリス系はすでに述べてきたように、教会と王権の支配を相対化したものの、「至高存在」と王政を否定しはしなかった。

それに対し、グラントリアンは実際、急進的な啓蒙主義の影響を受けて、「至高存在」に対する尊崇を排し、無神論的な政治結社になっていく。明らかに両者は、ある時期から別種の思想を報じる別種の団体となっていったのである。

もっとも、英米系と大陸系メーソンリーが混同されがちなのは、仕方がないところもある。

本家のイギリス系メーソンリーが、グラントリアンに対する承認を取り消し、絶縁を宣告したのは、フランス革命勃発から約80年後の1868年のことである。

イギリスとフランスのフリーメーソンが断絶した1868年というのは、明治元年のことです。』
(「白山伯vsグラバー 英仏フリーメーソンのちがい」より)
http://blog.goo.ne.jp/onaraonara/e/f573ab5d8abeda4a65c225a0510816f2

フリーメイソンは仏教徒でもイスラム教徒でも信仰を持つものなら誰でも入会できる。
しかし私のような「無神論者」は入会できない。

「信じる」という脳のメカニズムが働く人間であれば、その線で「いずれ使える」ということのようだ。
坂本家は確か仏教であって、日蓮宗ではなかったかと思う。

龍馬の生家は、才谷屋の系譜を引く坂本家であった。
商人は日蓮宗を重んじていたからだ。

仏教を信じて入れば、龍馬がフリーメイソンに入会する資格はある。

『武士道とは死ぬこととみつけたり、というだろう。
ごちゃごちゃいってないで、とにかく坐れ、坐って肝(きも)を練れ。

禅宗の気風が武士にあってたんだ。

商人や職人はどんつくどんつくで景気のいい日蓮宗が合っているし、年貢を取り立てられるばかりの農民には、この世は苦しくても、来世は浄土に生まれかわることができるという念仏宗が救いになったんだ』

(「武士は禅宗が多い…農民は浄土宗…商人や職人は日蓮宗」より)
http://blogs.dion.ne.jp/miyanoharanotes/archives/7297651.html

龍馬がフリーメイソンだったかどうかはわからないが、武器購入の手段、つまり嘘も方便として入会した可能性はあるだろう。

会員相互の約束(おそらく世界支配であろう)を守らなかったから竜馬は消されたという可能性も浮かんでくる。

龍馬の実の従兄弟の琢磨は函館で宣教師になった。
琢磨は友人の医師酒井篤礼らを誘ってロシア人宣教師ニコライの指導によって洗礼を受けて、後に日本人宣教師となっていく。

ここ栗原市金成の正教会は、その酒井篤礼が慶応4年(1868)にこの地にやって来たことが始まりであり、明治8年に仮会堂を建てたのが教会の始まりである。

その正教会の近くにある曹洞宗大林寺境内に、熱心なキリスト者として伊藤博文を暗殺した安重根の顕彰碑が建っている。

奥州街道は大いなる歴史の動きをそっと教えてくれる。


最後に前島密の晩年の事跡を紹介しておく。

長野県伊那市坂下にある教会にある扁額のことが紹介されている。

『伊那坂下教会は、伊那市における最初のプロテスタント教会として1884年(明治17年)6月24日に 「伊那美以教会」の名称で10名の信徒によって誕生しました。

中略。

右の写真は、私たちの教会堂の 集会室に掲げられている扁額です が、この書は、わが国における郵便制度の創設者であり、初代の逓 信大臣でもあった、1円切手の肖 像画でお馴染みの前島密氏が、聖書の一節を揮毫されたものです。

教会に残る記録では、明治20年のクリスマス頃に当教会に来ら れて書いていただいたとの事です。』(「日本キリスト教団伊那坂下教会のサイト」より)
http://www.inasakashita-church.com/staticpage50/

前島は、明治19年(1886年)に東京専門学校(現早稲田大学)校長に就任している。
逓信次官になったのは明治21年(1888年) 11月であるから、この伊那坂下教会を訪ねたときは大学の校長だったはずだ。
そして明治21年に官営の電話交換制度を実施している。

聖書の一節を揮毫した扁額の写真がサイトにあるが字が読みとれないが以下に抜き出してみる。


『在上則
栄婦於
神在地
則和平
人沐思
澤○(不明)』

私にはさっぱり意味がわからない。
検索してみたたが、ネットでは解説している記事は見当たらなかった。

知られていない漢文(漢詩)なのであろうか。


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コメント 4

南沢満雄

前島密は長崎でフルベッキ宣教師のもとで学んでいたと思われます。その時、漢訳聖書を読まれたでしょう。
新約聖書ルカ福音書2章14節クリスマス賛歌。
日本語訳では「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和。御心にかなう人にあれ。」(新共同訳)です。
by 南沢満雄 (2011-03-10 11:46) 

nanboyanen

拝 啓
突然の送信をお許し下さい。 
 是非、ご一読 賜りたくお願い申し上げます。
 貴方様に関連しているハロウィンについて送信させていただきました。宜しくお願い致します。
 ハロウィンは、キリスト教系の学校でも盛んに実施もされ、また、魔女が関係するキリスト教の祭りです。
 キリスト教には「(キリスト教の)神の義によって、人を誅しても良い」との教義があり、多くの悲惨な戦争の原因になってまいりました。
 キリスト教の聖書に多く記載されている教義・事実です。申命記などにも悲惨な殺戮行為が多く記載されたキリスト教の教義です。
 また、魔女事件は「魔女は生かしておいてはならない」というキリスト教の教義から多くの罪のない方達が長い年月において苦しめられて来た悲惨な事件です。
 可哀想な方々が何百万と居られます。
 殺され方も火あぶりです。それも乾いた木でなく生の木で焼く陰湿なやり方です。
 ハロウィンにはこの様な悲惨な可哀想な事情が多々あります。
 貴方様の深いご理解を賜りたいと思います。                  
 下記に魔女に関する一部の資料ですが「拷問を伴う魔女裁判」の記述の一部分を記させて戴きます。
                                   敬 具
追伸:キリスト教の伝道行為が、あらゆる方法で行われています。人も派遣され、また、その活動の支援のためにキリスト教系の財団のお金も使用されています。
 それらの行為は、異文化を知ろうとか、絆を深めようとか、美名の下に行われてもいます。
 アメリカでは巧妙なキリスト教の仕掛けと言われています。これはアメリカでも問題になり、裁判も多く起こされています。是非、御調べ戴きたいと思います。
 また、子供が喜ぶからと言われても、お菓子をあげ、楽しいことをすれば何をしても喜びます。
 尚、国際的にも、ISOで、教育機関(幼稚園や学校)や企業は宗教的に中立でなければならないとされていま 
 す(特定宗教にのみ偏して、美化し伝道する行為は、禁止し控えるのが国際の意識・常識です)。
(参考):ISO26000(企業の社会的責任)で、企業の特定宗教の偏向行為を止める(宗教的差別行為の禁止)が
 定められています。 日本もISOの加盟国です。
     
(資 料)
 16世紀のなかばのトレドのキリスト教の異端審問で、エルヴィラという人妻に対して行われた「尋問」の経過を、忍耐強い書記が被告の悲鳴や絶叫にいたるまで、細大洩らさず書きとめた長文記録です。裁判には拷問が必ず行われました。以下その一部。
 ・・(エルヴィラの両腕を縛った綱がさらに締め付けられ、捻じられる。悲鳴。)
 「裁判官さま。何を申し上げたらいいか、言ってください。私がどんなことをしたのか私にはわからないのです。綱をゆるめてください、本当のことを申しますから。何を言えとお望みなのか、私には分かりません。おっしゃってください。その通りに申します。」
 (さらに綱が締められる。「真実を言え」と迫られる。「どう言ったらいいか教えてください。何でも申し上げますから」と彼女は繰り返す。)(「おまえは豚肉を食べただろう」と誘導される。)
 「いいえ、食べた事はありません。豚肉を食べると私は気持ちが悪くなるのです。豚肉は好きじゃないんです。私は何も悪い事はしていないんです。どうぞ放して下さい。何でも申しますから。何を申し上げれば宜しいのですか。何を言ったらいいのか分からないんです。言って下さい。何でも申します。放して下さい。何でも申します。・・・言って下さい、言って下さい。」
 (綱はゆるめられず、「カトリック教会にそむく事をしただろう」と尋ねられる。)
 「放して下さい。・・・(うめき声)・・・ここからおろして下さい。何を言ったらいいか、言ってください。ああ・・・苦しい。お望み通りのことをみんな申し上げますから・・・。裁判官さま、もう腕が砕けます・・・。ゆるめてください・・・」
 (「お前がした事を詳しく言え」と迫られる。)
 「何を申し上げたらいいのか・・・。そうです、いたしました。なんでもいたしました。・・・ああ、ゆるめて下さい。申し上げねばならない事が、私には思い出せないんです。弱い女の身です。腕が砕けそうです。弱い女に、憐れみをお持ちではないのでしょうか。・・・」
 (裁判官は、「本当の事を言えば憐れみを持つであろう」という。)
 「裁判官さま、言って下さい。本当の事というのを教えて下さい・・・。(泣きむせぶ)・・・分からない・・・何を言ったらいいのか・・・。」
 (同じ言葉の繰り返しと拷問が続いたのち、「おまえは土曜日に麻の着物を着替えただろう」と尋ねられる。)
 「はい、着替えました。着替える時が来ていたからです。悪意があっての事ではありません。何をお考えになっているのでしょう。・・・」
 (裸にして拷問台に寝かされる。四肢は四方に、綱で引っ張られる。口に水管が差し込まれ、水差しから水が注がれる。その合間合間に彼女は前と同じことを繰り返えす。ここで、拷問は一時「中断」。)
 それから4日後、拷問は再開された。              岩波新書「魔女狩り」より

ーー(関連資料)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2009年8月13日(木)13:00 毎日新聞
 ◆被爆者が生きている間に、核兵器が廃絶される日を見せてあげたい。井田薫(仮称)

「原爆投下の良かった面を考えよう」

 早稲田大4年、井田薫(仮称)さん(22)は6年前、留学先の米ミシガン州の高校で、アメリカ史の教師が出した課題に耳を疑った。

 幼少期を長崎市で過ごし、毎年8月9日には静かに祈る人たちの姿を見てきた。「広島と長崎の悲劇は世界に共有されていると思っていたのに」。頭の中が真っ白になった。

 他の生徒たちが「戦争を終わらせた」「祖国の防衛になった」などと答えるのを聞きながら、「違う」と思った。だが、その一言が言えない。沈黙するしかなかった。

 帰国して大学に進み、祖父の妹(80)宅に下宿した。そこで、亡き祖母が長崎で被爆したことを知った。自分が被爆3世だということも。

 ある夜、祖父の妹が涙を流しながら被爆した時のことを語ってくれた。焼けただれて助けを求める人たち、空襲警報のたびに防空壕(ごう)で震えた記憶……。「同じ苦しみを味わわせたくない」。その言葉が胸に響いた。

 2年前、再び米国に留学した。「今度は自分の思いを伝えよう」。小さな決意を秘めて向かった留学先の大学で、原爆を扱った映画の上映会を開いた。学生から「原爆の苦しみを教えてくれてありがとう」という言葉が返ってきた。「伝えれば伝わる」と思えた。

 今は、ジャーナリストを志し、中東向けのニュース配信会社「パンオリエントニュース」(東京都港区)で「修業中」だ。いつか、自分の記事で世界に発信したい。「良い戦争なんてない」と。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(悲惨な戦争を無くせないでしょうか。切なる希望について。)
拝 啓
 下記は、番組を提供された企業様とその番組に出演された女優様へ送信したメールです。
 是非、御一読 賜りたくお願い申し上げます。
 尚、下記において、番組提供の企業(○○と標記)と出演された女優(☆☆と標記)、及び放送した放送局(□□と標記)は匿名とさせて戴いて居ります。
                              敬 具
     《 記 》 
 ○○株式会社様
 拝 啓
 下記は、貴社提供のテレビ番組(□□チャンネル、地球街道「長崎街道、憧れの教会」)について、☆☆様へ送信したメールです。
 御多忙とは存じますが、是非、御一読 賜りたく お願い申し上げます。
                            敬 具
                            記
 ☆☆ 様
 拝 啓
 御活躍のご様子、何時も拝見させて戴いて居ります。
 本日(10月18日)午後10時30分からの□□チャンネル「地球街道(長崎街道、憧れの教会)」を拝見させて戴きました。
 この番組は、今回の様に、「キリスト教徒によるキリスト教を美しく見せる番組」を度々放送しております。
 これに比較して、仏教関係は皆無の状況です(公共放送として公平性の無い偏した現況です)。
 また、キリスト教は『(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても良い』との教義から「人をあやめる行為」を残念ながら行って来て居ります(この悲惨な事例は、いにしえから長い歴史と共に数知れずあります)。
 近年では、ブッシュさんがイラクで(多くのアメリカの青年が亡くなっております。また、本戦争に関係のないイラクの多くの方々も亡くなられております)。
 そして、次期米国大統領候補の方々は、いずれの方もイラクの悲惨なこの戦争の中止を意思表明して居ります。
 ブッシュさんの支持母体のキリスト教徒の希望により行われた(上記の教義の論理から行われた)この戦争は「悲惨な結果」をもたらしただけでした。
 ブッシュさんのお父さんも、中近東の湾岸戦争で、今回と同様に、支持母体のキリスト教徒の希望により同じ行為をして居ります。
 キリスト教は、いにしえの古代の十字軍もそうですが、上記の教義により、可哀想な多くの方々を残念ながら作ってまいりました。
 この教義は間違っておりますという声を、是非、上げて戴きたくお願い申し上げます。
 また、キリスト教に偏する番組作りをしている本番組へ、公共放送として公平性のある番組作りになる様、お力をお貸し戴ければとお願い申し上げます。                                             敬 具
 ーーー(以上を送信させて戴きました。以下は御参考として付記させて戴きました)ーーーーーーーーーー
(参考)テレビに於ける公開討論において、米国大統領候補のいずれの方も、直ぐ撤退するか、否かの意見の違いだけで、両候補とも撤退の意見となっております。
☆ 己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり。
 ☆ 以和為貴・・・(和をもって貴しとなす)。
 ☆ 一切衆生、悉有佛性 :
  (いっさいしゅじょう、しつうぶっしょう)・・・この世のあらゆる生きとし生けるものは、ことごとく皆、佛性(佛の性質・佛と成り得る資質)が備わっています。そうした生きとし生けるものでもって宇宙は構成され、すべて(万物)が繋がり、時は流れています。そのつながりの中で育んで行きましょう。
 [参考比較] キリスト教の人間生来の 原罪 : 原罪(げんざい)とは、エデンの園において人類の始祖であるアダムとイヴが最初に犯したとされる罪、およびその罪が人間の本性を損ね、あるいは変えてしまったため、以来人間は神の救い・助けなしには克服し得ない罪への傾きを持つことになったという、キリスト教の多くの教派において共有される思想。
 (ここを原点として、信じなければ救いを拒否し、切り捨てるというキリスト教がある)
☆ 真実の声 :
 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。 己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。 
・・・ 仏典『ダンマパダ』より

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(若い方達へ)

キリスト教は贈り物とか、讃美歌とか、外見上は優しく見えますが、若い方達は特にご注意ください。
虐殺や戦争の事例が実に多い宗教です。
  それは『(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても良い』という教義から来ております。
他人を絶対にあやめてはいけません。間違った宗教に幸せな未来はありません。

キリスト教の罪悪の一例である、ヨーロッパの30%もの方々が亡くなった戦争事例がどの様なものかをお調べ下さい。そしてまた、この%の異常さをお感じ下さい。どの宗教も同じという話は無くなると思います。やはり、教え・教義からくる悲惨な結末なのです。

URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009

URL: http://moppo28.blog.so-net.ne.jp
by nanboyanen (2011-05-31 15:51) 

旅行者

引用どうもo(^-^)o

そちらのブログの内容は難しいのでコメントしませんが記念に(笑)
by 旅行者 (2012-06-30 00:40) 

MatNast

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by MatNast (2020-02-03 17:08) 

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