コレハル村にあるシュロ~奥州街道(4-138) [奥州街道日記]

TS393163.jpgTS393163築館留場の民家のシュロの木
TS393169.jpgTS393169街道の面影
TS393171.jpgTS393171人影のない街道
TS393172.jpgTS393172「好珠山 能持寺」

栗原市の築館の街道筋にはシュロの木が見える。
それはアザマロの時代からあったものか、それとも北上してきた大和族が植えたものか。

私はシュロで神を祝うのは古代ユダヤ人の信仰習慣であると思っている。

ユダヤ教の聖典である旧約聖書にはナツメヤシの枝で神を祝えとモーセの教えが書かれているそうだ。

ザビエルの依頼で薩摩のヤジロウが和訳した際に、ナツメヤシをシュロと訳したようである。

ヤジロウはザビエルを日本へ連れてくるために平戸の松浦氏が派遣した倭寇の末裔であろうと推測している。

鉄砲と火薬を扱うポルトガル商人とイエズス会宣教師をセットで日本へ送り込んだのは、松浦水軍であったと推理している。

歴史の上では種子島時堯(ときたか)であるとされているが、日本支配を試みるには島主では小さすぎる。
もっと壮大な日本国支配の構想を持って実施されたプロジェクトであったはずだ。

最近読んだ井沢元彦著「逆説の日本史9」に種子島時堯は鉄砲2丁(3丁説もある)入手後に、紀州根来(ねごろ)の杉之坊こと「津田堅物」と堺の貿易商橘屋又三郎に譲っている。
また種子島時堯は、島の中央寺院日蓮宗慈恩寺を庇護しており、慈恩寺の本山は法華宗本門流の大本山本能寺(京都)であるという。

ザビエルとともに上陸した鉄砲と火薬は、法華宗(日蓮宗)の寺と深い縁をもって全国に拡大しているのである。

本能寺の床下には火薬の原料である硝石が保管されていたというから、本能寺の燃え方は尋常ではなかったはずである。
大爆発を繰り返していた可能性さえある。

ドラマでは火の中で幸若舞を舞う信長を描いているが、現実には目覚めることすら出来なかった可能性があるだろう。

伊治(これはる)村の砦麻呂(あざまろ)は大和族と戦った蝦夷の豪族である。
その住まいであった伊治(これはる)村が今の栗原市である。

その築館宿を通過している。
古街道の面影が道には残されている。
夏の午後だから、人影の見えない街道風景である。

「好珠山 能持寺」境内で休憩することにした。

能持寺は何宗なのだろうか。

直感ではあるが、日蓮宗のような気がする。
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