神田明神様 [つれづれ日記]


7796(門前の天野屋)

7797(旧中仙道)

新年明けましておめでとうございます。
会社帰りに恒例の神田明神様におまいりしてきました。

挨拶周りのあとで午後4時ころについたのですが、例年より人が少なく感じました。
例年の半分か1/3程度に感じます。

ひとつは出店の活気がないことです。
買い物をせずにお参りだけして客が帰っていくからでしょう。
また、参拝するのに並んでいつも順番を待つのですが、今日は10列程度ならべばお参りできました。
いつもは門前まで50列くらいは並んでいたと記憶しております。

商売繁盛の神様なので、不況には強いのではないかと思いますが、さすがの神様も100年に一度の金融不況にはお手上げなのではないでしょうか。

参拝のあと、いつものように鳥居そばの天野屋で温かい甘酒(350円)を立ち飲みしました。
どうやら口が味を記憶していて、神田明神に来ると口が落ち着かなくなるのです。
甘酒を飲みながら、江戸時代から残っている天野屋の玄関先の風情を眺めていますと、
最近の立て札のようですが「旧中仙道」という文字が目に入ってきました。

ここ神田明神様の鳥居のそばを中仙道が通っていたのか!

私が3年前に旧中山道を京都三条大橋から江戸日本橋までつなぎで歩いたとき、本郷の東大赤門を過ぎてから以降は旧道の場所がわからなくなったことを思い出しました。

一応案内地図は持っていたのですが、田舎の旧道と本道の区別ならわかりやすいのですが、都内へ入ると道路が錯綜しており、旧道がバラバラに切られているようで迷ってしまったのでした。

結局、広い通りを歩いて三越前をとおり日本橋へと帰ってきました。

懐かしさもあり旧中仙道の様子を写真に取りましたが、今ではただの裏道に過ぎない風景になってしまっています。

江戸以前の日本人の主要交通手段ですので、都内の旧五街道跡はきちんと整備して後世に伝えて行きたいものだと思いました。

以前はこの旧中仙道の看板に気づきませんでした。
自分が歩いたから、印象に強く残ったのか、あるいは最近天野屋の主人が旧道の大切さを思って看板を立てたのか、定かではありません。

紙コップの甘酒を飲み干すと、これも例年通りですが、指に甘酒の汁が付着してネバネバしてきました。

私には、この一連の動作により「江戸の正月が来た」という気持ちになれるのです。

今年もよろしくお願いいたします。

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